被害者は加害者になる
「DVの知られざる現実」といふタイトルで、臨床心理士の信田さよ子さんがこんなふうに書いてゐます。
「DVの加害者とは、自分が被害者だと思つてゐる男性だ」
これはとてもおかしい。言ひ間違ひぢやないの、と思へる。しかし、どうやらさうでもないやうなのです。
DVを訴へられ、DV加害者プログラムに参加した男性たちの多くは、かう主張する。
「DVについて知れば知るほど、妻こそDV加害者だと思ふ。ぼくがどれほど大変な思ひで仕事をしてゐるか。どれほど普段我慢しているか。それを妻は理解しようともせず、一方的に責め立てられたら、誰でもキレますよ」
暴力を振るつたといふ、その行為の部分だけを見れば、振るつた夫が加害者だと誰の目にも映る。しかしその暴力がどこからなぜ出てきたかと原因を遡れば、その原因は妻にある。
もちろんこれは、夫の側の言ひ分です。妻には妻の言ひ分があるでせう。そして人の性質から見て、大抵自分が加害者だとは言はない。暴力を振るふ側も振るはれる側も、どちらも自分が被害者だと主張するのです。
信田さんは、昨今の夫の立場をこんなふうに考へる。
「家族の問題に対して、づつと男性は責任を解除されたままであり、お客様状態なのである」
外での仕事には責任感を強く持つ夫であつても、家に帰ると、家庭内の問題はまづ妻が主体的に責任を持ち、自分は妻が背負ふべき責任の一端を協力して受け持つ。さういふ自己認識を持つ夫が多いのではないかといふのです。
夫はこのやうに家の中では二次的な責任者、謂はば受動的な存在なので、
「自分は妻の言ふ通りにさせられてゐる。だから何か問題が起きれば、それは妻のせいであり、妻に文句を言へばいいのだ」
と無意識的に考へてゐる。
この受動性が被害者意識に繋がつてゐるのに違ひないと、信田さんは考へるのです。かういふ考へには、私も納得感がある。
何らかの攻撃をする人。さういふ人は第三者から見ると「加害者」に見えるものの、本人は自分を「加害者」とは思つてゐない。むしろ、自分は被害者なので仕方なく攻撃をせざるを得ないのだ、と考へてゐる。
ここで思ひ起こすのは、人類最初の攻撃者、カインです。
彼はある日、弟アベルを野に誘ひ出し、後ろから立ちかかつて殴り殺した。この行為だけを見ればカインは加害者であり、アベルは可哀さうな被害者になる。
しかしカイン自身は、自分のことを加害者だとは決して思つてゐなかつたのではないか。加害者どころか、むしろ自分は被害者であると考へてゐた。
弟と一緒に供へ物をしたのに、自分のものだけ顧みられなかつた。これに対して神は何の正当的な理由も説明されず、恵みを受けた弟は目の前であからさまに喜んでゐる。自分こそ、神からも弟からも差別を受けた被害者だ。
さう考へて、攻撃に出た。
しかし人が誰かを攻撃するとき、自分が加害者だと思へば、攻撃そのものができないのではないか。むしろ、自分は被害者だから仕方なく攻撃する。さう考へるから攻撃の一歩を踏み出すことができる。自分は被害者だからこそ攻撃する正当的な理由があるといふ考へ方です。
考へていくと、どうも、加害者にならない一番良い方法は、被害者にならないことだと言つていゝやうです。

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