内の世界のニュース
もう、私たちが誰かの言葉を聞く時は過ぎ去りました。どんな真理よりも、千万倍素晴らしい師の言葉よりも、私の心の声を聞き、聞いてもまた聞きたくて、その心を求めていくべきです。そうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。それが創造の内容です。 |
過去にも何度か引用したことのある、文鮮明総裁のみ言葉です。いつ頃語られたものかは分明ではありません。
私を中心として、2つの世界があります。一つは、私の外の世界。そしてもう一つは、私の内の世界です。
私の外には広大な世界が広がつてゐる(やうに見えます)。朝起きてテレビをつければ、世界のニュースが際限なく流れてきます。スマホには夜の間にも溜まつた通知がいくつもあつて、ポップアップで知らせてくれます。これを「外の世界のニュース」と呼んでおきます。
一方、朝目が覚めて何のデバイスもオンにせず、しばらくぢつとしてゐると、「内の世界のニュース」が聞こえてきます。徐々に眠りから覚めていく中で、夢の続きのやうな気分があり、自分で思ふとはなしに、これもまたとめどなくニュースが流れ出てくるのです。
外の世界と内の世界と、どちらのニュースが多いだらう。一見すると、外の世界がよほど多いやうにも思はれますが、案外さうではないかも知れない。
文総裁が言はれるやうに、
「私も分からない無限大の何か」
が、私の中にはあるやうな気もします。
今朝、我知らず内からのニュースを待つてゐると、思ひ出されることがある。先日読んだ養老孟司先生の一文です。
東大医学部の口述入試のとき、こんな問題を出した。
2つの頭蓋骨を目の前に並べて、
「この2つの違ひを述べてみなさい」
といふものです。
すると1人の受験生はしばらくぢつと考へたのち、
「大きさが違ひます」
と答へた。
これを聞いて、養老先生は驚いた。
もちろん、この答へが間違ひだといふわけではない。しかし、まるで幼稚園生が答へさうな答へではないか。偏差値が日本で最高水準の学生の答へがこれなのかと、暗澹たる思ひになつた。
ところが、これが今朝のニュースになつたのは、日本の教育を云々するためではない。
「あなたにも、違ひが分かりますか」
と尋ねられてゐるやうな気がしたのです。
例へば、
「昨日のあなたと今日のあなたとで、どこがどんなふうに違ひますか」
と訊かれたら、どう答へるか。
かういふニュースはなかなか外の世界からは流れてこない。テレビをつけて外の世界のニュースが流れ始めたら、あつといふ間に内の世界のニュースは聞こえなくなるのです。

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