「私」の「幸福」
私が自分の人生で一番長く付き合つてきた親しい存在は、間違ひなく「私」でせう。これには誰も例外がないと思ふ。
それなら、「私」との付き合ひはいつ頃から始まつたか。精神科医のフロイトは、自分の患者たちにこんな質問をした。
「あなたの生まれて初めての記憶はどんなものですか」
それに対して、例へばこんな答へが返つてきた。
いくつだつたか、はつきりした記憶はない。床を這つてゐたら、床の縁にでた。下を見下ろすとかなり高い。下を見下ろしながら、私は感じてゐた。今、見下ろしてゐるのは、他の誰でもない、私なのだ。そして同時に、強い幸福感が感じられた。 |
他の患者にも尋ねてみたところ、多くに共通する要素が2つあつた。「私なのだ」と「幸福感」です。
私自身の記憶を振り返つてみると、上の答へほど明瞭なものが思ひ出せない。やつと思ひ出したのが、こんなものです。
初夏頃だつたか、日が暮れて、父の運転するバイクの後ろに乗つてゐる。寒くはなかつた。顔に当たる風が心地よい。
ふと頭上を見上げると、丸い月が浮かんでゐる。バイクは走り続けてゐるので両脇の景色はどんどん過ぎ去つていく。
ところが月だけはづつと一点にとまつて動かない。へんだなと思つて、父に「どうして月は動かないの?」と尋ねた。父が何と答へたかは覚えてゐない。
たぶん私が小学校に上がる前の記憶だと思ふ。しかしこの記憶には「月を見てゐるのは私なのだ」といふ自覚があつたやうには思へないし、特別な「幸福感」があつた感覚もない。
記憶の中核をなすのは「頭上でぴたりと動かない月」であり、「顔に当たる涼やかな風」であり、「父の背中」なのです。そこにあるのは「環境の中にゐる私」であつて、「見下ろしてゐる私」ではないのです。
かういふ記憶では、「私」との付き合ひがいつから始まつたか、明確に特定できない。
知覚と行動の主体としての「私なのだ」といふ感覚を「自我」と呼ぶでせう。西洋人であるフロイトの患者たちにはこの「自我」がはつきりとあり、私では茫漠としてゐる。
この違ひを西洋と東洋の違ひと明言できるかどうか。それは分からない。しかし「自我」感覚の強弱は、人によつて、民族によつて、一様ではないことだけは確かな気がします。
西洋人は「心身二元論」を生み出す。「心(自我)」と「身(物質)」とを分けるのは「心」自体の働きです。
この「心(自我)」の強さが近代科学の発展に寄与したことは確かでせう。観測し働きかける主体としての「自我」と、観測され支配される対象とを明確に分離するのは、まさに「自我」の働きだからです。
一方、東洋人は「心身一如」を目指さうとする。「心」と「身」は明らかに違ふのに、それを敢へて一つにしようとするのです。これでは科学など発達する余地がない。
「心身一如」を目指す世界では、「私」をできるだけなくさうとする。「私」が環境を支配することによつてではなく、「私」がなくなるほど「幸福」になると考へる。
フロイトの患者たちは「私」を自覚したときに「幸福感」があふれたと思ひ出しています。「心身一如」と真反対です。だから彼らの証言に、私はどうしても違和感を覚える。「私」が強すぎる世界では「幸福」に生きづらいと思ふのです。

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