「絡合」と「創発」
「絡合(らくごう)」と「創発」といふ聞き慣れない言葉があります。
私なりの理解では、この2つの概念はよく似てゐる。今のところ世間一般の認知度はさほど高くないのですが、とても気になつてゐます。
東洋医学には「経絡」といふ見方があります。「経」は「縦糸」、「絡」は「横糸」です。「絡合」とは「横のつながり」といふことになります。
「創発」といふのは、「部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること」を意味します。
いくつか分かりやすい例を挙げて考へてみませう。

白アリは1匹づつの体を見ればごく小さなものですが、これが数百万匹集まると、協働して巨大なアリ塚を作る。個別に白アリの体の構造を調べて、どんな動きをするかは究明できる。ところが、彼らが数百万匹集まつてどんなふうに協働して巨大なアリ塚を作れるのか。それは未解明の謎です。

イワシといふ魚も小魚です。ところが彼らの近くに大きな魚が現れると、とたんに数万匹のイワシがバッと集まつて、互いに接近しながら全体として敵の魚よりも見た目の大きな1匹の魚の姿を擬して、対抗する。ところが、個別のイワシ同士がどのやうに連絡を取り合つて大きな1匹の魚のやうに見事に一糸乱れず動けるのか、それは解らない。
この2つの例に共通するのは、個別と集合のそれぞれは別個に究明できるのに、その互ひ(個別と集合全体)がどのやうに繋がつてゐるのかは解らない、といふことです。
近代科学の大筋は、大きな物質を分割分割していくと、どこまで小さくなるか。すべての物質を構成する究極の単位は何か。それを究明する方向に流れてきたと見ることができます。
究明していくと素粒子まで観測できて、それをよく見るとおかしな振る舞ひをしてゐる。波になつたり粒子になつたりするのです。

量子力学が生まれ、それによつて量子の振る舞ひが分かつてくる。ところが、その量子が集まつていろいろな目に見える物質ができ上がつているのに、その物質がなぜさういふ動きをするのかを、量子の振る舞ひからは直接に説明できない。
例へば、量子の集まりである胃腸はなぜ食物を消化するのか、心臓はなぜ血液を循環させるのか。量子と臓器のそれぞれの性質のつながりがうまく説明できないのです。
ここに着目したのが「絡合」であり「創発」だと考へられます。
つまり、これまでは大きなものを分割していくのが自然科学だつたのに対して、「絡合」や「創発」は小さなものを集合させていく研究だと言へる。着眼点が真逆なのです。
男子には精子、女子には卵子がそれぞれある。個別にはそれらがいくら存在しても何の意味もないが、一旦それらが結合した途端、今までこの世になかつた新しい生命体が生まれる。これなども「創発」的観点から究明しないと解けない謎でせう。
現時点では、この世の現象を「物質」と「情報」といふ2つの要素で解明しようとしてゐますが、今後は3つ目の要素として「絡合」あるいは「創発」が加はる。生命の誕生から死後の世界まで、これによつて段々と明らかになつて来るかもしれない。

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