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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

時間がかかつて困ります

2021/02/13
世の中を看る 0
話が長くて困る 

「女性がたくさん入つてゐる理事会は時間がかかります」

この短い一言を日本のマスメディアが発するや否や、瞬く間に世界中を経巡つて批判の嵐を巻き起こし、発言者を辞任へと追い込んだ。発言者は、東京オリ・パラ競技大会組織委員会の会長(当時)、森喜朗氏です。

「女性蔑視とも受け取れる」といふ但し書きを必ず添へて繰り返し報道されるこの発言。本当に「女性蔑視」なのだらうかと一抹の疑念を差しはさむ余地を残すと見えながら、今や「蔑視ではない」とは反論できないほどの趨勢となつてゐます。

難しい問題です。

オリンピックの基本精神は「男女平等」だといふ。オリンピックだけではない。世界中が「男女平等」「少数派尊重」を唱へてやまないのです。それが悪いとはもちろん言へない。

森氏の発言を切り取つて「女性差別」と発信したマスメディアにも、何らかの意図があるのかも知れない。それを利用する与野党の政治家諸氏にも海外のマスメディアにもIOCにも、それぞれの思惑があるのでせう。

ここではその複雑なことにふれない。いろいろな関連記事の中で目にとまつた一つだけを取り上げてみます。

週刊ポストが森氏の家族に取材した記事の最後に、ジャーナリスト田原総一朗氏の証言が載つてゐます。

森家は完全なカカア天下でした。食事をした時、奥さんは「あなたが総理大臣で東京で偉そうな顔をしている時に、私は地元を最敬礼して回っていたんだ」と言っていましたが、森さんはそれに一言も返せなかった。


田原氏が森夫妻と3人で会食したときのエピソードです。

外に出れば天下の総理大臣として威張つてゐる男も、家に帰ると奥さんに頭が上がらない。これが、人のありのままの姿であり、偽らざる男女関係の現実です。そしてかういふ現実の中で、人は結構幸福に生きてゐる。

同じ記事の中で、孫娘と長女も取材に答へて、
「家庭はすべてが女性で、おじいさんなんかには喋るスキを与へない」
と言つてゐます。

女性の話がどれほど長いか、森氏は家庭においても骨身に染みて分かつてゐる。しかし家の中でおじいちゃんに話させないのは「男性差別」ではないのか。「女は話が長すぎる。俺にも少しくらゐは話させろ」と思ふかも知れないが、それで「差別」だとは言ひ立てないでせう。

森氏は女性の能力の高いことを重々承知してゐる。それは「差別発言」と言はれるものの全文を読めば、よく分かります。

「我が家はカカア天下だが、しつかり者のかあちやんで有り難いなあ。娘も孫娘も自由に喋つて、賑やかでいいなあ」
と思ふくらゐで、結構満足してゐるのです。

しかし外に出れば、結構世の中はまだ男原理で動いてゐるし、自分は委員会の会長だ。家の中よりは威張れさうなので、つい「女は話が長くて困る」と言つてしまふ。

それが差別発言だと厳しく指弾される世の中に変化してゐると気づかなかつたのは、森氏の迂闊です。それはある程度批判されても仕方ない。

しかし
「老害は表舞台から消えろ」
とまで言ふのは、これもまたかなりひどい「年齢差別」ではないだらうか。

我々の人生は、生活のあらゆる場面で大小の理不尽を経験する。「女のくせに」とか「男なんだから」とか「年寄りの冷や水」などと、配慮のない言葉に直面して、カチンとくる。ちょつと傷つくこともある。さういふことを体験しながら、「この言ひ方はよくないな」と学習し配慮を高めていくのです。

迂闊な一言を世界中がよつてたかつて排撃しようとする風潮は、私にはちょつと息苦しいと感じられます。こんなことが家庭で起これば、その家庭はあつといふ間に瓦解するしかないでせう。

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