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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

だから私がこゝに呼ばれた

2021/02/11
私の中の世界 0
ここに呼ばれた 

私たちは日常でさまざまな事態に遭遇する。そして、そのかなりの部分は「どうして私はこんなことに巻き込まれるんだらう」と思ふやうな「思ひにまかせない」ことに満ちてゐる。

こんなとき、
「私は不運だなあ。早く抜け出したい」
と思ひやすい。

しかし、こんなときこそ
「だから私がこゝに呼ばれた」
と思ふこともできます。

誰に呼ばれたのか。神様に呼ばれたと考へればいゝと思ひます。

順風満帆ではない。何らかの工夫努力をして改善解決しなければならない負の状況。だからこそ私がそこに呼ばれた。

さう考へると、私は神に期待され、信頼もされてゐる。負をゼロに戻し、さらにはプラスにまで転換することができるかどうか。

「お前なら、それができるだらう。それをしてほしい」
と願はれてゐると考へるのです。

その期待を裏切らないためには、どうしたらいゝでせうか。

負の状況なので、そのままなら「不運だなあ」とか「なぜ私だけ」とふやうな不平や不満が自然に出る。だからそのとき、不平も不満も言はないのです。

不平不満が自然に出て当然の場面で、感謝をしてみる。まつたく反対の対応を試みるのです。

何を感謝するのか。取り敢えず、それははつきり分からなくていい。馬鹿らしく思へるかもしれないが「ありがたう」と言つてみる。

不平不満も私のどこから出てくるのか、はつきり分からないのです。少なくとも、顕在意識や理性からではない。脳研究の最新知見によれば、「私が何かをしよう」と思ふ0.35秒前に、脳の中でその行動を起こす電位が励起してゐるのです。

つまり、不平不満は言ひたくて言ふのではない。気がついたら言つてゐる。我知らずなのです。

不平不満もどこから出るのか分からないのなら、感謝もどこから出るか分かる必要がない。最初は理性で感謝したとしても、繰り返しながら0.35秒前の電位変化に変容をもたらせないかと思ふのです。

ここで転換できないとすれば、
「せつかくお前を呼んだのに…」
と言はれてしまふ。ちょつと残念です。

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