あんな素敵な60代の夫婦になりたい
黒川伊保子さんは人工知能研究者、感性アナリスト、随筆家など、いくつもの肩書きを持つ多才の人です。
奈良女子大学の理学部に学んだ。当時、奈良で一番好きな風景が春日大社の万燈籠だつたといふ。
節分とお盆の晩、石燈籠と釣燈籠合はせて3000基にろうそくの火が灯される。燈籠が並ぶ参道はゆるやかな上り坂になつてゐる。
大学時代最後の年の万燈籠。参拝を済ませて一人で参道を下つてゐた。その日は照明を使はないから、参道は薄暗い。
参道を上つてくる2人の男女に気づかず、2人の間に割つて入るかたちになつてしまつた。
「ごめんなさい」とあやまりながら半身ですり抜けると、背中から「若いつて、きれいね」といふ女性の声が聞こえた。すかさず、「いや」と男性が応へた。
「若い頃の君のほうがもつときれいだつた。それに、今のほうがきれいだ」
それを聞いた二十歳そこそこの乙女は、うつとりと幸せな気分に満たされた。あの男女は60代に見えた。
「私もいつか、あんな素敵な60代の夫婦になりたい」
と思つた。
そんな体験をしたのです。
ところがその後、脳研究者になり、結婚をし、32年が過ぎて60代になつてみると、あのときには気づかなかつたことが分かつてきた気がするといふ。
「本当の夫婦は、きつとあんな会話はしない。あれは、一緒の墓に入らない仲なんぢやないのかなあ」
読者の皆さんは、どう思はれますか。あなたが60代の男性で、結婚30数年の伴侶と暮らしておられるなら、あゝいふセリフが出てくるでせうか。一方、60代の奥様であれば、ご主人からあゝいふセルフを言はれて、うつとりと幸せな気分に満たされるでせうか。
私自身は40代の半ばに妻と死別した男やもめなので、残念ながら60代の夫婦の気分はよく分からない。しかし夫婦で過ごした最期の生活を振り返つてみれば、40代にしてすでにあゝいふセリフはほぼ出なかつたなと思ふ。
「本当の夫婦は、きつとあんな会話はしない」
といふ洞察に一票を投じざるを得ない気もします。
とは言へ、残念な洞察ではありますね。どうして、本当の夫婦はあゝいふ会話をしないと推察できてしまひ、またそれを聞いて納得してしまふのでせうか。
黒川さんは、実感と脳研究の両面から、
「夫婦生活とは、恋が腐つていくのを見守る暮らし」
だと定義する。
男性も女性も、より優秀な子孫を残すために(ほぼ本能的に)感性真逆の相手に惚れる。この「惚れる」といふのが「恋」ですね。
子どものためには真逆の相手を選ぶものの、夫婦として寄り添ふには困難が多い。そのために、脳には相手のあら探しを一時停止する機能があるらしい。
ところが、この脳の機能は永遠ではない。この機能が衰微するにつれて、相手のあらが目につき始め、恋が腐つていくといふわけです。
「恋が腐る」といふ表現はちょつと嫌だが、「惚れる」といふ感情が長続きするものではないのは分かり切つたことなので、恋は確かに遠からず終はるには違ひない。しかし、恋が終はつた果てに、一段次元の高い一体感がくると、黒川さんは言ふ。
「腹が立つけど、邪魔ぢやない」
といふ境地が現れ、女友達との旅よりも、夫との旅のほうが疲れなくなる。これが大体、結婚30年目を迎えるころから現れる現象だといふのです。
しかし、これは明らかに妻目線ですね。夫の側も大体時を同じくしてこの境地に入つていくのでせうか。
もし入つていくとすれば、60代の夫から
「若い頃の君のほうがもつときれいだつた。それに、今のほうがきれいだ」
といふやうなセリフは確かに出ないでせうね。
しかしかういふちょつと艶めいて気の利いたセリフは、山も谷も乗り越えてきた本物の夫婦でこそ交はしたいものです。恋がないと無理でせうか。それとも、恋の他になにか効果的な方法があるでせうか。

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