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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

ノブレス・オブリジュ

2021/01/18
思索日記 1
養老孟司
ノブレス・オブリジュ 

民主主義とは、じつはすべての人にエリート教育をしなければ成り立たないと私は思っている。なぜかって、民主主義の定義により、誰が偉くなるか、あらかじめわからないからである。
(『希望とは自分が変わること養老孟司


民主主義に限らず、どんな制度でもそれを運営するのは生きた人間ですから、結局は人間が良くならなければ制度はうまく機能しないでせう。絶対王制であらうと共和制であらうと、これなら絶対うまくいくといふものはない。しかしその中でも、民主主義こそ、それを構成する人々の質が最も厳しく問はれると思はれます。

養老先生は「良い民主主義のためにはエリート教育が必要だ」と言はれる。エリート教育をしても、構成員のすべてがエリートになるのは現実的に無理かもしれない。しかしある一定割合でエリートが存在しなければならないでせう。

エリートとは、どういふ人材でせうか。元はフランス語ですが、日本では「選良」などとも訳されてゐます。「選」は「選ばれる」。

頭が良くて成績優秀、一流大学を出て、一流企業に入社。出世して幹部になり、その会社を動かす地位に就く。経済人であれ学者であれ官僚であれ政治家であれ、その社会のトップに位置して、大きな影響力を行使する人たち。そんなイメージですね。

ところが今のアメリカを見てゐると、さういふ優秀な人たちが人数にして1%で国全体の富の50%を保有してゐる。優秀な人たちがその能力を駆使すればするほど、貧富の格差は拡大の一途をたどるのです。こんな人たちをエリートと言つていいのか。

エリートについて、養老先生はこんな例を示してゐます。

先生自身も東大医学部を出た医学者だつたが、母上も小児科の開業医だつた。医者と言へば、学歴から言つても職業から言つても「エリート」でせう。

しかしそのエリート開業医は、夜中でも休日でも構はず呼び出されて、年中往診に駆け回つてゐた。眠いから嫌だ、休みだから行かないとは言はないし、言へない。

養老先生は、さういふ人をエリートと呼びたいやうです。まさに「ノブレス・オブリジュ(高貴さは [義務を] 強制する)」。「休みだから行かない」とは「言はない」といふ精神性が重要なのだらうと思ひます。

日本では江戸時代「士農工商」といふ役割分担がありました。これは身分を上から下への順番で言つたものではなく、お金から遠い順に言つたものだといふ説があります。

武士は大小を差して一番威張つてゐるやうでありながら、実はお金から最も遠いところにゐた。「武士は食はねど高楊枝」などと言つて体面を重んじてゐるが、本当に食ふに困れば先祖伝来の刀でも売るしかない。

さういふ人間に社会的な支配権を与へておく。非常に巧みな社会制度であつたと思はれます。日本なりのエリート思想が生きてゐたと言つていい。

明治以降もしばらくの間、武士道精神は生きており、それなりのエリートもゐたと思ふ。しかし少なくとも、戦後になつてからはエリートを生み出す教育は施されなくなつた。

武田邦彦先生は自分の体験的実感から、
「日本のエリート(と見做される人たち)は1990年ごろから、どんどん嘘をつくやうになつたと思ふ」
と言つてゐます。

意識的なエリート教育がなければ、当然のことにも思へる。養老先生が言はれる通り、エリート教育がなければ民主主義は成り立たない。

目下の現状では、志のある個人が「休みだから行かない、とは言はない」といふ、目先の損得を無視する精神性を培ふしかないのかと思ふ。



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Comments 1

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kitasendo

kitasendo

今回の米国大統領選の成り行きを見てゐると、国民の投票は一部の勢力に思ふがまま操作されてゐるのだから、もはや民主主義はなくなつたとも言へますね。このままでは米国は民主主義ではなく「利権主義」に覆はれる運命です。

2021/01/18 (Mon) 16:24