人生のプログラム
昨年、暮れも押し詰まつたとき、おばあちゃんが突然脳梗塞を起こして、夜中に救急車を呼んでそのまま入院した。
言葉が出なくなり、左手が動かない。検査してもらふと、案の定、右脳の一部に梗塞の様子がはつきりと見えます。
認知症だつたとは言へ、脳梗塞が起こる前は自分でご飯も食べ、会話も十分に成り立つてゐた。それが梗塞が起こつたとたん、これほど様子が変はる。脳がどれほど絶妙に動いてゐるか、改めて驚きます。
当夜の夕食まではふつうに食べて眠つてゐた。深夜になつて突然異変が起こつたのはなぜか、それは分からない。目に見えない体の中では、疲弊した心臓や血管に徐々に異変が進行してゐたのでせう。
しかしそれとは別に、本人はこのタイミングを知つてゐたのではないかといふ疑ひが、私にはあるのです。
もちろん、本人がそれを意識してゐたのではない。無意識と言つていいのか、脳自体と言つていいのか、本人がはつきりと意識できないどこかで、大体のプログラムを組んでゐたのではないかといふ感じがするのです。
おばあちゃんは昨年の初めごろから緑内障が進行し、だんだんと視野が真つ暗になつてきた。認知症のお蔭か、意外と本人はそれを気にしないのですが、ときどき「何も見えない」と言つて悲観し、涙を流すことがあつた。
10ヶ月あまり、暗闇の世界を存分に味はつた。そして目は見えないながらも、ベッドの上で1日3食、息子が準備した食事を「旨い、旨い」と言ひながら食べ続けた。
しばしば
「こんなに大切にされるおばあちゃんはおらんね」
と、また涙を流した。
世話は簡単ではないものの、私はかういふ状態が続いてくれればいいなと思つてゐたのです。
食欲は衰へず、聞けば昔話もしてくれる。こんな状態で、ゆつくりと老衰が進んでいく。さういふ成り行きを願つてゐたのです。
ところが、突然その流れに終止符を打つた。終止符を打つたのは、おばあちゃんの体のやうでありながら、実は自分でプログラムを遂行したのではないか。そんな気がするのです。
脳は左右に分かれてゐます。右脳は感じる脳。五官から入つてくる情報を取りまとめてイメージに変へる。一方の左脳は顕在意識と直結して言葉を操る脳。
この2つの脳は脳梁で連結され、情報をやり取りしている。ところが年を取るにつれて、この脳梁はだんだん細くなるのです。
細くすることで、外界の影響を受けにくくなる。外界に向けて薄いカーテンを降ろすやうにして、内的世界を充実させるのです。さうすると、「自分の内の声」を聴きやすくなる。
つまり脳は、さういふ境地に向けて自ら変化していくやうになつてゐるとも考へられるのです。
おばあちゃんは、外から見れば認知症だと定義されます。しかし本人の中においては、もしかして60代の私よりはるかに「自分の内の声」を明瞭に聴き取りながら生きてゐたのかも知れない。
「プログラム」といふ表現をしましたが、それを本人が意識して組んでゐたとは考へられません。意識的には、我々は誰でも自分がいつ、どのやうに最期を迎へるのかを知らない。それでも「自分の内の声」を聴ける状態になればなるほど、プログラムを素直に受け止めるやうになるのではないか。
認知症が進んで、意識が外界から内面へ向かふやうになつた。視力が衰へて、暗闇の世界を味はつた。体が動かず、介護される喜びも味はつた。
そのやうにして、プログラムを一つづつ消化してきたので、今回次のプログラムを遂行した。少し突き放した見方のやうな気もしますが、おばあちゃんの人生のプログラムを私があれこれ操作することはできません。

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