母音はドメスティック
母音の特徴について、黒川伊保子さんの分析(『日本語はなぜ美しいのか』)を参考に、もう少し紹介してみます。
母音は、息を制動せずに、声帯振動だけで出す、自然体の発生音です。例へば、伸びをすれば、自然に「あー」といふ声が出る。痛みに耐えるときは、自然に「うー」と唸つてしまふ。
勢ひをつけるときは「えいっ」、のけぞるときは「えー」、偉大なものに感銘を受けたら「おー」といふ声が自然に出る。多分これらは、誰に教へられなくても、ほぼ万人共通に無意識に口から出てしまふ音声でせう。
自然体で素朴、ドメスティック(私的、内的、家庭的)な印象があり、親密感を強めて、ふと心を開かせる音。これが母音の感性的な特徴と言へます。
「えいっ」と「えー」との違ひは、「い」音のあるなしです。「い」音は「前に出る」音なので、「えいっ」といふと勢ひをつけて前に出る感じになり、「えー」だと逆にうしろに引く感じになる。
だから子どもたちは「学校"に"行く」と素直に言ふのに、父母がPTA会合で行くときには「学校"へ"行く」と言ふ。学校への概念距離の違ひが無意識に現れるのでせう。
会話のとき、親密になつて相手の心を開かせようとすれば、母音をうまく使ふ。
例へば、相づちを打つとき。単に「さう」といふより、「あゝ、さうなの」「いいね、さうだよ」「うんうん、さうさう」「えっ、さうなの」「お、さうかい」などと、母音と一緒に言ふと、相手の心が開いて、づつと近く、親密に感じる。
逆に、相手と距離を取りたいときには、子音の強く響く言葉を使ふ。
例へば、仕事で同席した女性に、
「ご一緒できてうれしかつたです。ありがたうございました」
と言はれるのと、
「ご臨席できて光栄でした。感謝しております」
と言はれるのとでは、受ける感じが随分違ふでせう。
前者なら「帰りにお茶でも」と誘へても、後者ではつけ入る隙がない。「私はあなたと一定の距離を取つてゐます」といふ無言のメッセージが子音言語には入つてゐるのです。
我々日本人は、このあたりをかなりハイレベルに使ひこなしてゐますね。
日本語には母音主体の和語があり、子音主体の外来語がある。一つの漢字について、日本人は子音主体の「音読み」と母音主体の「訓読み」を併用する。
昔は男は子音主体の言語世界(漢語)を尊び、母音主体の言語を見下してゐたが、その間に女性は母音言語の強みを駆使して高度な文学世界を構築したのです。
それがあまりに素晴らしいので、遂には男である紀貫之が女を装つて、
「をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみんとてするなり」
などといふ書き出しで『土佐日記』を書いてゐます。
漢字文では日本人の心情をありのままに表現しきれないのです。
私もブログ記事を書くとき、漢字漢語をどれくらゐの割合で使ふかに、結構気を配ります。漢字が多いと、抽象度が上がり、客観的に見え、クールな感じもしますが、読むのに疲れる。固くて、やや距離感を生んでしまひます。
使ひこなすにはかなり複雑で厄介な言語ですが、日本語はそれだけに工夫のしがひのある言語でもあります。

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