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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

私が肩代はりします

2020/12/13
愛読作家たち 0
小林正観
私が肩代わり

前回の記事「我が家に生まれてきて、よかつた」で、小林正観さんの長女が知恵遅れで生まれてきたことによる体験を紹介しました。

その体験には、2つの悟りが付随した。

一つは、「我が家を選んで生まれてきたことは、その子にとつて幸運だつた」といふ悟り。

もう一つは、「自分の努力だけではどうしやうもないことは、そのまま受け容れることで壁が消える」といふ悟りです。

ところが、別の本『
淡々と生きる』を読んでゐると、そのさらにもう一つ奥の悟りがあつたといふ告白があります。

一つの悟りを得るには、いくつもの段階を経る周到なシナリオがあるものです。

2009年の10月に小林さんは発病する。それから8ヵ月間、いつ死んでもおかしくないやうな状態だつた。

そして翌年6月、伊勢神宮を参拝したとき。天皇についてのあるお話を聞いたのです。

天皇は毎年1月1日早朝に起きると、東西南北の四方に向かつてお祈りをされる。

「今年もし、日本に災ひが起きるならば、日本国民を代表して、まづ私の身体を通してからにしてください」

これを「四方拝」と言ふさうです。歴代天皇はづつとこれを続けてこられた。皇太子の時代から教へ込まれるのです。

その話を聞いて、小林さんは猛烈なショックを受ける。

それまで小林さんは、
「病気とは忌むべきもの、辛いもの、悪いもの、必ず直さなくてはいけないもの」
と思つてきた。

ところがその話を聞いて、
「病気には、さういふ崇高な考へ方があるのか」
とびつくりしたのです。

そして気がついたことがある。

自分の発病とほぼ時を同じくして、妻が乳がんと診断された。結婚以来、揃つて病気一つしたことのない夫婦が、今度は揃つて病気になつたのです。

小林さんは肺の半分まで水が溜まつたけれども、回復した。その1年半ほど前、肺に3分の1だけ水が溜まつて急死した親しい友人がゐた。

そのときは気がつかなかつたが、
「あゝ、あれは私の肩代はりをしてくれたんだ」
と、自分が回復してみて悟つたのです。

その友人だけではない。同時期に発病した妻も、自分の肩代はりをしてくれた。天皇の祈りと同様、「私の身体を通してください」といふ祈りの原理が働いてゐたのです。

すると、知恵遅れの長女はどうだ。彼女は小林家に生まれて29年間、小林家の苦痛の多くを肩代はりしてきてくれたのではないか。さういふことに気がついた。

「我が家に生まれてきて、よかつたね」といふやうな話ではない。彼女はむしろ小林家を助けに来てくれてゐたのです。

私もこれまで、かういふ祈りの原理について、うすうす気がついてはゐたのですが、改めて深く腑に落ちました。

42歳で早世した妻。縁もゆかりもなかつた我が家に嫁いできて、我が家の肩代はりをしてくれた。

生後の数年間と中学の3年間、アトピーの痒みで苦しんだ息子。彼もその苦痛で、大きなものを背負つてくれたと思ふ。

そして、痴呆症が進み、緑内障で視力もほぼ失つたおばあちやん(老母)。せめて目が少しでも見えてくれれば世話がずいぶん楽なのにと思つたりもするが、むしろ彼女が今や我が家の守護神であるのかも知れない。

他の誰かではなく、自分自身が何らかの苦痛を背負ふこともあるでせう。それはおそらく、誰かの肩代はりをしてゐる可能性があります。

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