我が家に生まれてきて、よかつた
私にとって残された苦悩から脱出する道は、受け入れるしかなかった。 受け入れなさい、受け入れることが唯一の脱出の道なんだとは誰も教えてくれなかったから、私は半年間苦しみ続けました。なんとかしよう、なんとかならないのか……。 (『宇宙方程式の研究: 小林正観の不思議な世界』山平松生) |
小林さんは若い頃から、ふつうの人には見えないものが見えるといつた質の人だつたやうです。一方、頭脳も優秀な人で、東大法学部を受けたがこれは失敗し、一浪して中央大学に入つた。
当時は学生運動が最盛期で、自身自治会の役員もして、ばりばりの唯物論者になつた。考への違ふ人間とは闘つて、論争してねじ伏せれば自分が勝つ。
しかし元々、人の見えないものが見えるやうな質だから、唯物論と競争闘争の世界には入り込み切れなかつた。さういふ小林さんの人生観を否応なく変へたのが、結婚して3年目にやつと生まれた長女だつたのです。
待ちわびた女の子は、知恵遅れの障害者でした。
その当時小林さんはすでに多くの人の人生相談に乗るやうな立場で、
「不幸や悲劇は存在しない。さう思ふ心があるだけ」
と教へてゐた。
長女が生まれて、「本当にさうか」といふ深刻な問ひかけに直面することになつたのです。
半年間、モノクロの世界が続いたさうです。「よりによつて、なぜ我が家なんだ」と悩みに悩んだ。何とかならないかと、病院を探し、薬を探し回つた。
そしてある日、新聞の記事を読んだ。
「この障害を持つて生まれてくる子は、600人に1人」
といふのです。
当時入つてゐたマンションには、114世帯、およそ600人が住んでゐた。それまでにそのマンションに障害者はゐない。それで気がついたのです。
「この子は、114世帯の中から我が家を選んで生まれてきたんだ」
もし他の家庭に生まれてきたら、差別されるかもしれない。冷たく扱はれるかもしれない。でも我が家だつたら、小林さんも妻も決してそんな扱ひはしない。
「我が家に生まれてきて、よかつた」
と、心から納得できた。
そのとき、小林さんの世界にカラーが戻つてきたといふ。
半年間、小林さんの目の前には高い壁が立ちはだかり、とても越えられさうになかつた。ところが納得できたとき、その壁が「消えた」といふのです。乗り越えるべき「壁」そのものがなくなつた。
「この子はこの子のままでいい」
と思へたとき、「悟り」が来た。
それで小林さんは
「『悟り』とは『それをそのまま受け容れること』だ」
と分かつたのです。
努力し、闘つて克服できる問題もあるでせう。しかし、それではどうしやうもないことがある。さうすると、生き方には2通りあるといふことです。「闘つて切り拓く生き方」と「そのままを受け容れる生き方」です。
どちらがより良いといふ優劣はない。ただ、どちらの生き方も味はつてみるやうに人生を「導かれる」といふことがある。
小林さんは
「自分の人生は、生まれてくる前に自分の魂がシナリオを書く」
と考へてゐるやうです。
自分でシナリオを書いてもいいし、なにものかに導かれてもいいが、いづれにせよ「受け容れるしかない」といふ人生の局面は、誰にも必ず訪れるものでせう。しかも、それは1回きりではない。小さいものまで数へれば、生涯で千回万回に及ぶでせう。
重要なのは、その場面に遭遇したとき、「どうしやうもない」といふ諦めで受け容れるのではなく、「受け容れる」といふ選択を主体的にする自覚を持つことです。「受け容れる」ことで壁がなくなり、その問題が解決してゐると気づくことです。
人生を否定しなければ、本当に「不幸や悲劇は存在しない」と言へるかもしれない。

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