私の秘密を明かしませう
ジッドゥ・クリシュナムルティは、インドの偉大な哲学者であり、神秘家、霊的指導者です。1986年に91歳の大往生を遂げてゐます。彼は生まれ故郷を離れ、半世紀以上に亘つて世界中を講演して回り、西洋人に対しても東洋の哲学の深遠さを十分印象づけました。
その彼が人生の後半に差しかかつた頃、講演の中で、
「私の秘密を知りたいと思ひますか」
と聴衆に問ひかけたことがある。
彼の哲学は深くて難解だ。いよいよそのエキスが明かされるのかと、聴衆はさつと耳をそば立てた。すると、彼はかう言つたのです。
「私は、何が起こらうと気にしない」
これが彼の核心的秘密だと言ふのです。
深い哲学的思索者の秘密といふには、あまりに簡明に過ぎないか。聴衆のほとんどは、一瞬そのやうに思つたに違ひない。
この秘密の意味は、一体何でせうか。
何かが起こる。これは自分の外で起こつてゐることです。それが気にならないといふのは、外で起こつた出来事と自分の内面とが「調和」してゐるといふことです。言ひ方を換へれば、外で起こつた出来事と自分との関係に、心の中で一切抵抗せずにゐるといふことです。
これが彼の明かした秘密だとすれば、これは彼の人生の実りであり結論であると言つていいでせう。
恐らく彼の考へによれば、一切抵抗しないといふ態度は出来事に負けるといふことではない。真実はむしろその逆で、自分の外と内とが調和をベースに関係を結ぶとき、そこに現れる行動は自分を超えた智慧に導かれる。
どんな些細な出来事でも、それが自分の意に沿はないと思へるとき、それと調和するのは容易なことではない。これが通常われわれが経験するところです。
些細な体験ですが、先日久しぶりに交通違反チケットを切られた。
来客の予定があつたので、内心焦つてゐたのでせう。用事を済ませて家に向かふ途中、曲がり角で一旦停止を怠つた。そこへちやうど(運悪く?)、パトカーが通りかかつた。
サイレンを点滅させて追つてくるパトカーがバックミラーに映つたとき、「あちやあ」と思つたが、観念するしかない。
「止められた理由、分かりますね?」
と確認されたとき、
「一旦止まつたつもりなんですが」
と、つい答へてしまつた。
言はずもがなの「言ひ訳」ですね。このとき、私の外で起こつた出来事と私の内面とは、明らかにひどい不調和をきたした。「罰金はいくらだ。何とかならないか」と、心の中の抵抗は激しかつた。
抵抗が長引けば、それだけ私の内面は消耗する。最善の方法は一刻も早く罰金を払つてしまふことだと考へ、さうしました。私にできたのは、せいぜいそこまでです。「気にしない」といふのは難しい。
2羽のカモが小さな池を泳いでぶつかりさうになつたとき、喧嘩になる。しかしその喧嘩は長くは続かず、間もなく双方違ふ方向へ泳ぎ去る。そして2羽とも、バタバタと羽を羽ばたかせる。喧嘩で溜まつたエネルギーを放出させるのです。
それで彼らは瞬時にして喧嘩を忘れる。非常に賢明です。世界的賢人が生涯をかけて到達した境地に、巧まずして住んでゐるやうです。

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