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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

0.1秒の人生

2020/11/09
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岡潔 小林秀雄
陸上選手 

時というものがなかったら、生きるとはどういうことか、説明できません。そういう不思議なものが時ですね。… 強いて分類すれば、時間は情緒に近いのです。
(『人間の建設』岡潔小林秀雄


これは岡先生の発言です。

アインシュタインによつて大転換されたとは言へ、我々の感覚としてはニュートン以来の絶対的時間の観念で生きてゐます。時間は過去から未来に向かつて直線的に流れる、その中を我々は一定の期間だけ生きてゐる。さういふ感じですね。

しかし岡先生は、時間は情緒に近いと言ふ。情緒が何かといふのもまた難しいのですが、まあかなり主観的なものには違ひない。人間の意識とは別に絶対で冷徹な時間があるといふ感じではない。時間の中に私がゐるのではなく、私の中に時間がある。だから、長いと思へば長いし、短いと思へば短い。伸縮自在といふイメージです。

この前、陸上100m走のトップアスリートの話を聞きました。

日本でも今は10秒を切る選手が何人か出てゐます。切るか切らないか、0.1秒、0.2秒の世界です。このわずかな時間を短縮するのに、来る日も来る日も練習する。

ところが、1年間練習してもまつたくタイムが縮まらないことも多い。結果から見たら、全然成長してゐないぢやないかといふことになる。

どうやつて0.1秒を縮めるか。もう七転八倒の苦労です。筋力をいくら強化しても、ここまでくるとタイム更新には容易につながらない。それでどうするか。

100mを走る間に、それまでは45m辺りで最速になり、それからゴールまで徐々にスピードが落ちる走り方だつた。それを55m辺りで最速になるやうに走り方全体を再構成してみる。そのことによつて、たとへ筋力に変化はなくとも、0.1秒の短縮を実現することが可能になることがあるといふのです。

そこまでして100mを9.9秒で走ることに、どれほどの意味があるのか。車で走れば、人を何人も乗せ重い荷物まで積んでも、5秒で走れるでせう。しかしさう言つてしまへば、身も蓋もない。

0.1秒を短縮するために、筋力の強化ではなく、最速ポイントを10mずらすといふ工夫。それはもう、何かの物体をできるだけ速く遠くまで移動させようといふ実利主義、功利主義ではない。岡先生の言ふ情緒とは違ふものの、そこには何か人間ならではの心とか人生観のやうなものが現れてゐるやうに思へます。

0.1秒などといふ一瞬の時間など、日常の生活で意識する人もゐないし、さういふ場面もないでせう。しかし100m走のアスリートにとつて0.1秒は気が遠くなるほど長い。まさに彼らの人生なのです。

「時というものがなかったら、生きるとはどういうことか、説明できない」と岡先生は言ふ。確かに、人によつては0.1秒の中にもその人の人生全体が現れると言へます。

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