真我教育を望む
1978年に亡くなつた数学者の岡潔博士は日本の行く末を心から憂慮されて、この国の初等教育、特に小学4年(10歳)までの教育の眼目を「真我教育」に置くべきと、事あるごとに主張されました。
下手をすると、我々は自我(小我)を自分だと思ひ込む。しかし博士は、真の自分は真我であつて、決して自我ではないと言ふのです。
仏教に造詣の深かつた博士は、「私」を分析するのに「自我」「真我」といふ仏教的概念を使はれる。その意味するところは把握しにくいのですが、私なりに考へてみれば、自我とは「日常」といふ名の眼前の戦いにおける脳を中心とした指揮官です。
指揮官は国の軍隊を預かり、自分の知識やこれまでの経験に基づいて勝利のための緻密な戦略を立てます。それと同様、自我は過去の記憶を基に、できるだけ有利に効率的に生活していける方法を考へる。人間関係をコントロールし、必要な物資を確保しようとする。現実をよく見て、正確な計算をするのです。
そのやうな面で自我は有能な指揮官なのですが、指揮官は一国の主人ではない。ある一面の国策のために立てられた代表者です。本当の国の中心者は国王であり、その国王が統(し)らす国民です。
このやうに譬へてみれば、真我(本当の私)とは私の中に住まれる神を中心とした大きな全体です。その中には自我が感知できない無限の無意識層も含まれます。それゆゑ、真我には深い叡智と無限の能力があります。
私の日常を動かすには、脳を中心とした指揮官としての「自我」が有能な働きをする。しかし「自我」は目の前しか見ないし、往々にして自己中心になる。
人生を長い目で見つめ、良心を通して働きかける神の心に従ふには、一時的に「自我」を抑へることによつて「真我」の発動を待つのがよい。博士の用語を私なりに翻訳すれば、大体そんなふうです。
さてそれなら、どのやうに自我を抑止すればいいのか。博士は自身の体験を参考に考へるのですが、その要諦は「他人(ひと)を先にし、自分を後にする」といふことです。
博士が挙げる体験を見ると、自我を抑止する「真我教育」の中心舞台は家庭のやうです。
先づ、4歳のときから祖父の薫陶を受けます。昔の家は、便所が土間の外にある。土間の出口に扉があるが、下男下女はよくそれを閉め忘れる。すると便所の臭気が土間の台所まで届くし、冬には寒風が吹き込む。
そこで祖父は4歳の孫に「扉を閉めることを忘れるな」との戒律を守ることを命じた。4歳児はその年の内に、その戒めを立派に守れるやうになつた。
その他にもいろいろな戒律があつたのですが、それを守るにはその都度自我を抑制しなければならない。
小学1年のとき、伯母が日本歴史に残る有名な女性の話を聞かせてくれたことがある。少年はそれをじつと聞いてゐて、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が格段に偉いと思ひ、大好きになつたといふ。

この媛は日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃でしたが、東征の際、海が荒れたときに海神を宥めるため自ら海中に身を投じて波を鎮めたといふ方です。「自我」のない身の処し方が少年の心性に響いたのでせう。
もう一つ、父は息子を学者にしようと考へてゐた。学者は金銭に心を移しては専心勉学することができないから、息子には一切金銭に手を触れることを禁じた。要るものがあれば、その理由を言つて父に買つてもらふ。さういふ教育のお蔭で、数学者として生きていく過程で一切物欲がなかつたと言ひます。
小学4年までは大体こういふ教育を主として、自然科学や社会科を教へるのはそれ以後がよからうと、博士は言ふのです。
博士の頃と今では時代も違へば、家庭の環境も一律ではない。博士の言ふ通りばかりはいかないでせうが、「自我を抑えて真我を活かす」といふのは重要なことと思ひます。
しかもこれは子どもの教育としてだけではなく、大人の日常にも常に必要なことでせう。

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