fc2ブログ
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

私の中に私だけの神が存在する

2020/11/02
原理を学ぶ 0
原理講論
私だけの神が存在する 

事実の歴史としては、16世紀ごろにコペルニクスなどが出てきて、それまでの天動説が真逆の地動説に人々の宇宙認識が転回したと考へられます。それを目の当たりに見て確かめた人はゐなくても、今の時代、地動説を疑ふ人はほぼゐないでせう。

私も疑ふわけではないが、天動説も地動説もどちらか一方だけが正しいといふより、ある意味、視点の違ひと言つていいやうな気がする。天体の運行や、それに伴ふさまざま科学的観測には地動説のはうが適してゐるので、そちらを採用してゐるに過ぎない。

その証拠に、我々の日常生活では、天動説の昔も地動説の今も、変はらず太陽は毎日東から昇り、西へ沈む。地球は猛スピードで太陽の周囲を公転してゐるとは聞いても、穏やかな日には風はそよとも吹かない。コップの水もピタリと止まつて波立たない。日常生活は天動説でちつとも困らないのです。

科学は地動説にすつかり移行した一方で、数千年前に発祥した占星術も我々の日常生活同様、天動説の世界観から一歩も動いてゐない。占星術にとつて、地球が止まつてゐやうが動いてゐやうが、大した問題ではないのです。

科学的な宇宙観では、一つの広大無辺の宇宙があり、その中に太陽系があり、太陽の周りを地球が回つてゐて、その地球上に70億人の1人として私が生きてゐる。さう考へます。

しかし占星術の考へ方は、それとまつたく違つてゐるのです。

星の巡り合はせで、どうしてその人の運命が占へるのか。一人の人間が生まれ出るといふことは、その一つの魂の誕生に伴つて、その人だけの宇宙が一つ誕生すると考へるのです。

つまり我々は誰でも、生まれながらにして自分だけの宇宙を持つてゐる。だからその人独自の宇宙を読めば、その人の性格も運命も読めると考へるわけです。その人はその人の宇宙の中で唯一無二の存在であり、その宇宙の中では「運命」と「自由」は同義なのです。

今この世に70億の人間が生きてゐるといふことは、70億個の宇宙があり、70億個の太陽があり、70億個の地球があるといふことです。

だから、地動説を信じる現代人が占星術を眺めると、ちょつとおかしな感じになる。

宇宙も天体も地球も一つしかないと考へてゐるので、同じ日の同じ時間に生まれた人はみな同じ運命になるのではないかと思ふ。これでは個性もないし、人生は運命論になつてしまふ。膨大な数の人間の個別な運命を、わずかな数の星座や星の巡りですべて読めるはずがないといふ考へになります。

科学は客観的な事実としてはより正確な世界観を我々に提供してくれたやうに見えます。しかしその一方で、我々の視点を一つに固定してしまつたとも言へる。

私といふ存在はいつも、「広大な宇宙の中に存在する極小の私」になつてしまつたのです。「私の中に私だけの宇宙が存在する」とは考へられなくなつた。

原理講論』も創造本然の人間の価値を論じて、「唯一無二の価値」「天宙的な価値」と言つてゐます。かういふ価値の視点は科学的な宇宙論からは、決して出てこないものです。

原理講論』をもう少し突き詰めれば、
「私がこの世に生まれた瞬間、私の中には私だけの神が生まれた」
と言つてもいいかも知れない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



Comments 0

There are no comments yet.