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人の幸せを喜ぶ

kitasendo
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私とある人との関係を、私の主観で大雑把に分けると、3つになります。

① 相手が私よりも能力や幸せ度において劣る。
② 相手が私と能力や幸せ度において拮抗している。
③ 相手が私よりも能力や幸せ度において優っている。

①の場合、私の心に生じるのは、良く言えば「同情心」、悪く言うと「優越感」あるいは「傲慢心」「安心感」です。

②の場合、私の心に生じるのは「競争心」ですが、ややもすると、相手の失敗を密かに願ったり、足を引っ張って自分が優位に立ちたいと願ったりします。


③の場合、私の心に生じるのは、「嫉妬心」あるいは「妬み」「劣等感」です。「称賛」する余裕は生まれにくく、「尊敬」するのも容易ではありません。


このような私たちの心を生じさせる内面の性質を、統一原理では「堕落性本性」と呼びます。
私と相手がどのような位置関係であろうと、心が落ち着かないのが、私たちの現実です。

人間が堕落せず、神様から離れていなければ、本来の人間にはこういう心はあり得なかったと見ます。
現実の私たちが様々な人間関係に苦しむのは、相手の人間性が劣悪だという理由もなくはないでしょう。
しかしより本質的には、私自身の心の質そのものが人間関係の中で私を苦しめていると見るべきでしょう。

水泳の金メダリスト、柴田亜衣選手が顧問から教えられた第3の教えは、
人の幸せを喜ぶ
というものでした。

これは、特に②と③の場合に当てはまるものです。

スポーツ競技の世界は、まさに競争そのものの世界と言ってもいいでしょう。
一緒に練習してきた仲間が次第に力を伸ばし、私を凌ぎそうになった時、私には過度の競争心から、相手の失敗や不調を願う心が密かに生じないとは限りません。

その競技の世界で、顧問が
人の幸せを喜べ
と教えたことは、統一原理的に言えば、
自分の堕落性を克服して、本来の人間になろうとせよ
ということです。


これを実行することは容易ならざることではありますが、神様が喜ぶことに違いありません。


古い諺に、
人を呪わば、穴二つ
と言います。

呪うとまではいかなくても、相手の失敗やへまを願うと、不思議と自分自身の体がこわばり、うまくいかなかったりするものです。

「人の幸せを喜ぶ」とは、スティーブン・コヴィ『7つの習慣』が言うところの、「win-win」の考え方。
これは人間の本性に通じる、実に素晴らしい考え方だと思います。

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