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自分のものでない思考

kitasendo
自分のものでない思考 

夢を見る人は受信機である。夢を見る複数の人たちのあいだに漂う微小な振動内に含まれる、自分のものでない思考、いわば集合的概念を受信しているのだ。
(「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』リン・マクタガート)


家の屋根に取り付けてからかれこれ16年ほどになる太陽光パネルが先月からうまく稼働しなくなつたので、先日、設置した会社の担当者に来て点検してもらつた。

美術、工芸、骨董などに関心の深い趣味人で、パネルの点検はもう一人の若い社員に任せきり。これまでに見てきた有名な絵画などの話をひとしきりした後で、夢の話をされたのです。

「夢の中でね、もうすぐバスが来るので荷物を早くまとめようとするんだが、トイレに行きたい。ところがなかなかトイレが見つからない。探し回つていゐる内に、バスに乗り損ねてしまふ。さういふ同じやうな夢を何度も繰り返し見るんですよ。なんだらうね、これ」

その話を聞いて、私は不思議な感じがした。実は私も似たやうな夢を、不定期的に繰り返し見るのです。

もうすぐ家に帰らないといけない。荷物をまとめようとしてゐる。トイレにも行きたい。ところが、広い建物の中を探し回つても、なかなか見つからない。時間が迫つて、間に合うかどうか焦りが募る。唯一その人の夢と違ふのは、私はバスではなく飛行機のチケットを持つてゐることです。

夢の意味はうまく読み解けない。トイレに行きたいのは、そのときの身体的な状態を反映してゐるやうに思へる。しかし夢全体としては、マクタガートの言ふ「集合的概念」の同じ部分をその人と私が受信してゐるのではないかと思へるほどに似てゐる。

「集合的概念」のことを彼女は「自分のものでない思考」と言つてゐます。一体、そんなものがあるのでせうか。

通常、「思考」は自分のものと思つてゐます。その「思考」は自分の脳の中で生成されると思つてゐる。だから普通は、「私の思考」は私の中にだけあつて、そのままでは他の人と共有することはできない。それが常識的な感覚です。

ところがマクタガートは、かういふ考へ方も紹介してゐます。

短期記憶や長期記憶がそもそも私たちの脳内にはまったく存在しておらず、ゼロ・ポイント・フィールドに保存されている。数多くの科学者たちが、脳とは究極の保存媒体であるゼロ・ポイント・フィールドに対するたんなる検索、読み出し機構にすぎないとまで議論するようになっている。
(同上)


興味深い知見ですね。かうなると、思考のもとになるすべての記憶はゼロ・ポイント・フィールドといふ巨大クラウドに保存されており、脳はそこにアクセスして情報を探してくる検索ロボットのやうなものです。

昼間目が覚めてゐるときは自我が強いので、「自分が考へてゐる」と思ひたい。しかし自我の力が手薄になる夜中には、割合素直に「集合的概念」にアクセスする。それで夢は、昼間の思考よりはるかに豊かで自由なイメージを満喫することができる。

尤も、この巨大クラウドに保存されてゐるすべての情報が、必ずしも良いものばかりとは言へない。2人の夢で言へば、バスや飛行機に乗り損ねさうになるといふ事態は、夢ながら焦りと落胆を感じさせるのです。このクラウドにはどうも、悲しみや嘆き、恨みなど苦痛の記憶が大半を占めてゐるやうにも思へる。

だから下手にアクセスすると、毒気を食らふことになる。フィルターをつけるか、クラウドの情報を中和する必要があります。

どうやつてこの問題に対処するか。近いうちにまとめてみたいと考へてゐます。



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