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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

ときどき意地悪な介護士

2020/10/08
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意地悪な介護士 

でも、介護ロボットにすべてお任せみたいな発想は、僕なんかは御免だね。いくら優しくても、ロボットに介護してもらいたいとは思わないです。やっぱり意地悪な介護士でも人間のほうがいいよね。「あの野郎」とか、「こんちくしょう」とか思ってるのが、生きているっていうことだから。それが、コンピュータに変なことをされて、「あれはバグです」って言われて済まされたら、面白くもおかしくもねえ(笑)。
(『AIの壁』養老孟司の対談集)


今の私は介護される側ではなく介護する側ですが、ちょくちょく我ながら「意地悪な介護士」になつてゐるなと思ふ。相手に向かつて「こんちくしょう」とは言はないまでも、心の内では大声で繰り返すことがあるのです。

この前も、真夜中近く布団に入つて寝ようと思つてゐると、おばあちゃんが寝てゐる隣の部屋からゴソゴソと音が聞こえてくる。

「そろそろ来るな」
と身構へていると、案の定、
「おしつこに行きたい。暗くて見えない。誰か助けてくれんかね」
と、真夜中にしては、かなり大きな声で言ひ始める。

1回なら「優しい介護」ができるが、その夜は寝たと思つたら15分おきに同じ事態が繰り返される。さうなると、ロボットならざる「優しい介護士」は、徐々に「意地悪な」人間介護士に変貌していかざるを得ないのです。

その夜は、「こんちくしょう」どころではない。気持ちが追ひ込まれて、ムカムカしてくる。こんな状態を何と言つたらいいんだらうと考へてゐると、「ジリ貧」といふ言葉がさつと頭に浮かんできた。

「さうだ。あんたのせいで、俺はじり貧だ!」

これは我ながらぴつたりの言ひ草だといふ気がして、心の内で20回くらゐ腹立ちまぎれに大声で繰り返してみる。すると不思議にも、却つてイライラが鎮まつてくるではないか!

養老先生が言ふやうに、
「これが、生きてる、つていふことだな」
と、自分ながら納得する。

私がイライラすると、おばあちゃんの扱ひも勢ひぞんざいになる。あんまりひどいと、おばあちゃんは悲しさうになり、ジュースを飲ませても「美味しい」とも言はず、黙々と飲んで布団に入る。

こんなときはおばあちゃんも辛いだらうな、と我ながら思ふ。それでも、「いつも優しい介護ロボット」よりは「ときどき意地悪な介護息子」のはうがまだましだと思つてくれてゐるかな? 

笑つて感謝するときもあれば、涙目で布団をかぶるときもある。おばあちゃんも、さういふ悲喜こもごもの体験を霊人体に刻んで、あの世に逝つた後では「あのときは、お前も私もいろいろあつたね。忘れがたい思ひ出だね」と言つてくれるだらうか。

こんな生活があとどれくらゐ続くのか、見通しがつかない。とにかく私は今日を生きてゐる。

将来を見越して計画を立て、目標に向かつていく人間が競争に勝つ。さういふ勝者の人生観は元々苦手でしたが、今は勝つも負けるも関係ない。それどころではないのです。

「今はとにかく、今日を十分に生きろ」
と天から言はれてゐるやうな気がします。



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