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ミッションはいつも目の前にある

kitasendo
ミッションは目の前

以前「ミッションは向こう持ち」といふ記事を書いたことがある。入江富美子さんが『おかげさまの法則』に書いた体験談がとても面白く、それを紹介したものです。

入江さんは才能の豊かな方で、キャリアを積んでも起業をしても人並み以上の成功を収めるのですが、心の中はちつとも嬉しくない。なぜだらうと考へていくと、「自分が立てた目標(ビジョン)では、いくらそれを達成しても嬉しくない」といふことに気がつく。そこで「これからはビジョンではなく、ミッションで生きていく」と心を固めるのです。

「いつまでにこの目標を達成しよう」
このやうに自分で決めた目標をビジョンと言ひます。

多くの人、多くの組織が明確なビジョンを立てて成功してゐるでせう。だからビジョンは全然悪くないばかりか、成功のための必須条件のやうにも思へます。

ところが入江さんは
「欠けてゐる自分、ダメな自分を埋めるためのビジョン」
と感じる。

キャリアであれ会社経営であれ、「どこまで達成しよう」と考へるその裏にはいつも「今の自分はそれに達してゐない」といふ自覚がある。未達成感、不足感が心の底にあるのですね。

そこで入江さんは頭を入れ替へる。
「欠けてゐる自分を埋めるためではなく、今のままの自分でやる」

ビジョンで生きてゐたときは、「これをやつたらうまくいく」「これをやつたら、これを得られる」といふ損得の計算が行動の原理になつてゐた。しかしミッションにはさういふ計算がない。

「これをやるために自分は生まれてきた」
と思へるものをやるのがミッションの生き方です。

ところが、「自分はこれをするために生まれた」といふことが分からない。方向も分からず、確信も持てない。それで入江さんは生き方をミッションへ切り替へるために、七転八倒するのです。

そしてその果てに、「へそが開く」といふ一種の開眼体験をする。

この体験は簡単に誰にでもできるものではないなと、私は思つてゐた。ところが、最近来る日も来る日もおばあちゃんの介護をしながら、ふと思つたのです。

「へそなど開かなくてもいい。ミッションを見つけるのはそんなに難しくない」

「自分が何をするために生まれてきたのか」など、我々には容易に分からない。どうしたらそれを発見できるか。今目の前にあるものが「私のミッション」ではないか。そのやうに合点がいつたのです。

「私のミッションは目の前のおばあちゃんを介護することだ」
さう思つて、なにか間違ひがあるだらうか。

おばあちゃんは夜昼問はず、短ければ5分おき、長くても2時間おきには目を覚ましてトイレに行きたがる。目が見えないのでどうしても私の介助が要る。勢ひ、私も2時間以上熟睡できない生活が続く。

普通の仕事もせず、こんな生活が数カ月続いてきて、「この生活は一体何なんだ」と煩悶してゐたときに、「ミッション」といふ言葉がふいに私を訪ねてきたのです。

ミッションはどこか遠く離れた高いところにあるといふわけではない。それはいつも、私の目の前に向こうからやつて来る。やつて来たものを私のミッション(それをするために私が生まれてきた)として取り組めば、私はいつでもミッションの生き方ができるではないか。

そこには、損得の勘定がないのです。「これをすれば、これを得られる」といふ計算をしない。ただベストを尽くさうと努力するだけです。

我々はどうも、ビジョンの生き方に傾きやすいやうに思ひます。何をするにせよ、やるからには結果を得たい。緻密でなくても、目標を立て、結果を計算します。

「夫(妻)とかういふ関係を築きたい」
「同僚とかういふ関係を築きたい」
「仕事をこのやうに実らせたい」

これらは悪いことではない。しかし、今目の前には夫(妻)や同僚のためにやつてあげられるミッションがあるのではないか。

奥さんであれば、今日夫のために家族のために最高に美味しい夕食を作つてあげることが今日のミッション。職場であれば、同僚のために心を尽くす。それで何かを得ようと考へない。

「ミッションに生きる」といふのは、全然特別なことぢやない。

おかげさまの法則

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小林正観
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