子どもはお母さんを選んで生まれてくる
『ことばのトリセツ』(黒川伊保子)でもう一つ興味深いことを紹介したい。
黒川さんの息子が2歳の頃、こんなことがあつた。彼がお母さんの近くで遊んでゐるとき、お母さんのお腹を触つて、「ママ、ゆうちゃん、ここにゐたんだよね」とつぶやいたのです。
それは前に教へたことがあつたので、別に驚くことでもなく、「さうよ」と生返事をしたところ、次の一言にびつくりした。
「ママは、あかちゃんがんばって、ってゆった」
この言葉、確かに彼がお腹にいるときに言つた記憶がある。臨月になつても仕事が忙しくて、最後の2週間ほど、予定日まで生まれないでといふ気持ちで、「あかちゃんがんばって」と、呪文のやうにお願ひしてゐたのです。
これはよく言はれる「胎内記憶」といふものですね。これは、ゆうちやんだけに限らない。多くの子どもたちが証言してゐるやうです。
黒川さんはこのとき、どうしても、もう一つだけ確かめたいことがあつた。それで、今しかチャンスはないと思つて、慎重に2歳の息子に尋ねたのです。
「ゆうちゃんは、ママのお腹にゐる前、どこにゐたの?」
尋ねながらも、2歳の子どもにちやんとした答へなど期待してゐなかつた。ところが、ゆうちやんは「そんなことも覚えてないの?」と言つた口調で、きちんと答へてくれたのです。
「ゆうちやん、木の上に咲いてたぢやない。で、ママと目が合つて~、それでもつて、ここにきたんだよ」
これは「胎内記憶」よりももう一歩神秘的な、
「子どもはお母さんを選んで生まれてくる」
といふ話です。
胎内記憶は、それがどの段階での胎児の記憶であれ、時系列では受精後のことです。少なくとも肉体があり、受精後6週目には、のちに脳と脊髄になる神経管のチューブができ上つてゐます。記憶の基盤(ハードドライブ)はあるといつていいでせう。
ところが、子どもがお母さんを選んで生まれてくるといふのは、どう考へても受精前の判断です。肉体もなければ、当然記憶の基盤もない。とすれば一体何が選択といふ判断をし、それを記憶してゐるのか。
魂(あるいは霊人体)がそれをしてゐるのでせうか。仮にさうだとしても、その魂はそれまでどこにゐて、膨大な数の母親候補の中から、どういふ基準で選択するのか。同一の候補を複数の魂が希望したら、どの魂に優先権があるのか。
いや、さういふことはどうせ考へても分からないので、ここでは不問に付します。むしろ、重要と思へるのは、どうして子どもが親を選ぶなどといふ記憶が人間の中に刻印されると考へ得るのかといふ、本質的な意味です。それを黒川さんは、こんなふうに表現してゐます。
母を選んだということは、人生を選んだということだ。人生は、「能動的な確信」とともに始まるのである。 (『ことばのトリセツ』) |
これですね。この「人は能動的に自分の人生を確信的に選んで生まれてくる」といふ、このことです。誰であれ、「私はこの親の元に生まれて不幸だつた、運が悪かつた」とは言へない。自分としてはベストの生まれ方だつたといふことです。
我々がそのやうな生まれ方を良いとか悪いとか、どのやうに評価しやうが、否応なくさういふ仕組みにこの宇宙はなつてゐるといふこと。人生は「能動的な確信」、言ひ換へれば「能動的な必然」によつて始まるので、その必然に沿つて生きていく。父母も兄弟も、さまざまな環境もできごとも、一つとして意味なく私の前に現れるものはないといふ考へになるのです。


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