命の転写
AI研究の分野でも活躍しておられる黒川伊保子さんは優秀なリケ女なのだが、語感の分析を詳しく書いてゐる『ことばのトリセツ』も、最後は「母親の目」になる。
これは、そのことが悪いと言つてゐるのではなく、逆に女性であり母親である科学者の素晴らしさを思ひ知らされるのです。かういふ「語感論」は男性には逆立ちをしても作れなかつたに違ひない。
「語感」つまり言葉の感触は、自分の体感に基づいてゐる。その始まりはどこかといふと、お母さんのお腹の中です。まだ人の形にもなつてゐないやうな胎児の初期段階からすでに、お腹の中でお母さんの言葉を体感してゐる。その様子を黒川さんは、とても美しく、かつ科学的に表現してゐるのです。
黒川さんは、言葉の真髄を「筋肉のゆらぎ」「息の流れ」「音響振動」などの体感に由来すると考へる。さうだとすると、お母さんが言葉を発するとき、子宮の中の胎児は、母体の筋肉運動、息の音、声帯振動などを体全体で体感してゐるはずなのです。
例へば、お母さんが「ありがとう」といふ言葉を発する。そのとき、血流やホルモンの変化がお母さんの体に起こり、胎児はとても良い気分になる。それと同時に、「ありがとう」の筋肉運動や音響振動が胎児に届く。
かういふことが何度か繰り返されると、胎児には「ありがとう」の発音体感と胎内の気持ちよさとがリンクされる。「ありがとう、にはこんなに気持ちの良い悦びがあるのか」といふことが、胎内ですでに体感されるわけです。
そのやうにして生まれてきた赤ちゃんは、まだよちよち歩きのときでさへ、何かを持ってきてくれたときに「ありがとう」といふと、花が咲いたやうに笑ふ。「ありがとう」の快感をすでに知つてゐることが分かります。
お母さんはさうすると、「ありがとう」だけでなく、時には(ごくまれに)「義母さん、ムカつく」とか「旦那のばかやろー」などと言つてもいいかも知れない。なぜかといふと、さういふ言葉を発したときに母体に生じる血流やホルモンの変化によつて、胎児は「不快」を体感する。すると、「ムカつく」なんていふ言葉は気持ち悪いなといふ既得感覚を持つて生まれてくるのではないでせうか。
さういふ不快な言葉は、自分でも使ひたくない。自然とさう思ふやうになるでせう。
語感は、発音体感がもたらす脳のイメージであり、ことばの感性の核となるものだ。その体感は、最初に、母の胎内で、母の発音体感に同調するようにして獲得するのである。… ことばとは、命のすべてを使って授けてもらうもの。まさに、命の転写である。 (『ことばのトリセツ』) |
黒川さんは自分の実感として、我がこととして、このやうな認識に至る。男たる私としては、「なるほど、さういふものかも知れないな」と思ふばかりで、実感したこともなく、またすることもできない「命の転写」などといふこの世の神秘に羨望の思ひを抱くのです。
かういふ最も深い神秘の世界において、男はどうしたつて主役ではない。さう感じるのは、男のひがみといふものでせうか。


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