名は、子どもがもつて生まれてくる
名は、子どもがもって生まれてくる。 (『ことばのトリセツ』黒川伊保子) |
「名は体をあらはす」とも言ふ。だから、生まれてきた子どもに、親は万感の期待を込めて名前をつける。命名の権利は親にあるとふつうには思つてゐるが、黒川さんの実感によると、名前はその本人たる子どもがもって生まれてくるといふのです。
黒川さんは以前に『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』でも取り上げた。そのときから「伊保子」とはちょつと珍しい名前だな、と思つてゐたところ、『ことばのトリセツ』で詳しく説明されてゐます。
由来は省くとして、本人としては子どもの頃から
「私の名前には、緊張を解く魔法がある」
と感じてゐたといふのです。
「イホコ」は、発音しにくい。息をかなり使はないと発音できないので、名前を呼んだあと、大きく吸うことになる。自然に深呼吸を促すのです。だから、お母さんが何か叱るつもりで名前を呼ぶと、そのあと、ふうつと深い息をして、怒りのボルテージが下がるのを目撃してゐたと伊保子さんは言ふのです。
弟は「ケンゴ」といふ。この名前は発音すれば、下腹に力が入り、背筋が伸びる。だから「ケンゴ」と呼びかけると、その後の口調が自然ときつくなる。「イホコ」と真逆なのです。
この世には、人の身体に力を入れてしまふ名と、力を抜いてしまふ名があることを、伊保子さんは子どもの頃から気がついてゐたらしい。この気づきが、今の「感性リサーチ」といふ会社の設立にも繋がつてゐるのです。
「イホコ」と「ケンゴ」でなぜそんなに違つた反応を引き出してしまふのか。名前に使はれてゐる漢字の意味といふより、言葉の感触「語感」の違ひによるところが大きい。それが黒川さんの研究の結論です。
それを納得させる豊富な実例が満載で、本書は非常に面白い。面白いだけでなく、言葉の持つ深い意味に気づかされる。一例を紹介しませう。
「スズキ・シュンスケ」と「ノムラ・ユウマ」。この2つの男性の名前からどんな人物をイメージするでせうか。
「スズキ・シュンスケ」は、息の疾風が6回も口腔を吹き抜ける(ス、ズ、キ、シュ、ス、ケ)上に、舌先の緊張と喉奥の緊張が交互に素早く入れ替はる。ゆえに、この名は圧倒的なスピード感とフットワークの軽さを、否応なく感じさせるのです。この男性が運動音痴で生きていくのは難しい。
反対に「ノムラ・ユウマ」は、どうか。息が停滞する音(ノ、ム、マ)と舌が揺れる音(ユ)でできてゐるので、スピードよりも柔和と熟慮が期待されるのです。呼びかけたら、優しく話を聞いてくれさうな気がします。
「なるほどなあ。ほんとうにそんな感じがするなあ」
と思ひますね。そんなふうに無意識的に感じてゐるやうです。
こんな説明を読んでゐて、私は「24(Twenty Four)」の主人公、ジャック・バウアーを思ひ出しました。
「ジャック」は米国では男性によくある名で、親しみを感じさせる。一方「バウアー」は、力強い両唇破裂音(B)と長音(-)が組み合はさつて、距離の遠さとタフさを感じさせます。親近感を感じさせながら、銃弾飛び交ふ修羅場をスリル満点に超えて生き残る主人公にぴったりの名前ではありませんか。
黒川さんは、すべての言葉に「語感」がまとわりついてゐると見抜き、人工知能を日常の言語生活に近づけるには語感を作り出す属性値を割り出して数値化し、人工知能に理解させる必要があると考へた。それが今から30年前。
しかし長年の研究の結果、言葉の感性を人工知能に実装することは、厳密に言つてできない、といふ。結局人工知能は、言葉においては、媒介ツールにしか過ぎない。
人は母語においては、ほぼ無意識のうちに、語感をコントロールしてゐます。ここに母語の重要性があります。
と同時に、人がなぜ無意識のうちにコントロールできてゐるかと言へば、腔内の形が今のやうになつており、そこで起きた刺激が脳に伝はる仕組みになつてゐるからでせう。
舌の大きさが今のやうであり、上と下の歯の並びが今のやうであり、舌先から喉の奥までの距離が今のやうである。それでさまざまな音を発するときに、それぞれに違つた息の流れとそれによる腔内の摩擦現象が起きる。
その刺激が脳に伝はるので、大抵の人が「あ」はこのやうな語感であり、「しゅ」はこのやうな語感であるといふ共通な感性を持つのです。こんな感性を、人は生まれた途端に持ち始める。
これを口腔を持たない人工知能に実装させるといふのは、素人ながら考へても、果てしなく難しさうに思へますね。


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