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心臓にリードさせる

kitasendo
20200825 

あるお母さんが高校生の息子から聞いたといふ話です。

息子さんは高校で陸上の円盤投げをしてゐる。理想的な円盤の投げ方について、コーチがこんなふうに教へてくれたといふのです。

「円盤を最も遠くへ投げようと思つたら、心臓にリードさせることだ。肩をゆつくり後ろに引いて、心臓を軸に円盤を回転させる。これが正確にできれば、円盤のスピードが最大限になり、遠くまで飛ばせる」

これは円盤を飛ばす際に、体の何を軸にするのがベストかといふ話です。息子の話を聞きながら、お母さんがあることに思ひ当たつた。

自分はこれまで母親として息子をいかにうまく育てようかと悩んできた。その育て方は、今思ふと、頭にリードさせてきたのではなかつたかしら。自分の過去の体験から、あるいは自分がかうだと思つた考へで、「かうすれば、かうなるはずだ」と思ひ込んで、息子に接してきたのではないかしら。

ふと、そんなふうに思ったのです。

しかしそれなら、一体何を軸にして子どもを育てたらいいのか。円盤投げにおける心臓に当たるものは何だらう。

お母さんは少し短気なところがあつて、しばしば頭に血がのぼる。そして、「自分が正しい。絶対に私が正しい」と思ひ、思ふだけでなくその自分の考へを子どもたちに押しつけてしまふことがよくあつた。押しつけた後で、「これではいけない」と思ふものの、どうすればいいのかよく分からなかつた。

子どもたちが幼い頃、息子の一人が兄弟みんなの絵を描いたことがある。その絵には子どもたちの顔が描かれてゐない。お母さんはその絵が昔から一番好きだつたのです。

その絵を見てゐると、こんなふうに思ふ。
「子どもたちの今も、これからも、私が決めることではない。子どもたちの顔は神の監督のもとで、子どもたち自身が描いていくのがいいのだ」

それなら、親たる自分は何をしたらいいのか。母親の役割は何なのか。

それは、自分の顔を描くことだ。親たる自分が、まづ一人の人間として神の監督のもと、自分の顔を描くこと。

子どもたち同士で喧嘩をしてゐるなら、そこに分け入つて、「喧嘩の原因は何か。どちらが悪いのか」といふ仲裁をするのではない。

その代わり、子どもたちから少し距離を置いて、
「子どもたちが喧嘩をする原因が、私の中のどこにあるのだらう」
と静かに自問してみる。あるいは
「子どもたちが喧嘩をすると、なぜ私はこんなにイライラしてしまふんだらう」
と内省してみる。

子どもたちの問題だと思へることの原因を子どもたちの中に見ない。自分の中に見る。これが、子育てをするとき、親の軸になればいいのだと、お母さんは気づきます。

振り返つてみると、高校や大学時代、お母さん自身が人間関係で憂鬱になり悩んでゐたことが思ひ出される。今は子どもたちとの関係でその頃の気持ちを再体験してゐるやうに思へる。つまり、子どもたちの問題はお母さんにとつて彼らの問題ではなく、お母さん自身の問題なのです。

息子の一人がガールフレンドとの関係で悩んでゐるときがあつた。お母さんとしては「どうしたの?」と声をかけてやりたいところだつた。しかし自分自身の高校時代を思ひ出し、そのときに未解決だつた友人関係の問題を解きほぐさうと、自分の内面に集中したのです。

6週間ほどが経過します。頃合ひを見て息子をランチに誘ふと、悩みを話してくれた。お母さんはただ黙つて息子の話を聞く。ランチが終はると、息子はお母さんをハグし、「ごちそうさま」と言つて席を立つた。

その日の夜、息子が報告してくれた。ランチの後、彼女に会ひに行って話すと、彼女もただの友達になりたいと思つてゐたと告白。息子曰く「それまでの人生でベストの別れ方だつた」。

子どもは子どもなりに、自分の顔を描いていくのです。親が正しく自分の役割を認識すれば。

人間関係で何を軸に回すか。これは親子関係に限らない、重要で普遍的な課題のやうに思へます。

この話は『ハワイに伝わる癒しの秘法』に紹介されてゐるエピソードを参考にしてゐます。

ハワイの秘法

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小林正観

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