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空き箱の私

kitasendo
20200812 

ずいぶん昔の研修会で文鮮明先生
「女は御名である。御名の『お』を強く言つたものだ。名前ばかりで中身がない。女は大きな空き箱である」
と話されたことがあります。

これは女性蔑視などではなく、むしろ女性に対する最高の賛辞だつた。その証拠に、上の言葉に続いて、
「女性は神の最高傑作である」
と言はれてゐるのです。

神様はどうも、創造の一番最後に最高傑作品として「大きな空き箱」を造らうとなさつた。その空き箱は大きくて、容れようとすれば何でも入る。神様でもその中にすつぽり入つて安息することができる。それほど無限に大きな空き箱なのです。

遺伝子の染色体を見ると、男女ともに23対の染色体のうち22対は同じ。最後の1対だけが違つて、女性はXXなのに、男性はXYの組み合はせになつてゐる。基本はXXで、それを胎中でいぢつて変形させたものが男性として生まれて来るのです。

だから人間の基本形は女性であつて、男性はその変形です。それでなるほど、男性のはうがメンタルももろくて、寿命も短い。

さう考へると、人間の基本形は「空き箱」なのだと思へてきます。本当は女性だけでなく、男性も「空き箱」として生きるのが理想的な生き方だといふことになる。

空き箱自体にはほぼ価値はなくて、その価値は自分の中に何を容れるかによつて決まる。最高に価値のあるものを容れれば、その空き箱は宝箱になる。つまらないものを容れれば、つまらないただのごみ箱になる。

ところが、どうでせう。今の私の中には、一体何が入ってゐるのか。

無分別に知識を詰め込めば詰め込むほど、私はつまらない私になる。知識を誇つて無知な人を軽蔑し、考への違ふひとをやたらと攻撃する。

妬みや恨みなどを溜め込めば、誰かを加害者だと見做して、自分を不幸な人だと考へる。そして自分の不幸感は、他の誰をも決して幸福にしないのです。

自分の中を何かで満たさうとするより、できるだけ自分の中を空にしようとして生きる。とりわけ、つまらないものが目白押しに詰まつてゐる状態なら、まづは空にするのが先決でせう。自分の中の「断捨離」です。

文先生は
「私も空き箱で生まれたらよかつた」
と何度も考へると言はれました。

男として生まれてきたけれど、生まれ変はれるなら女に生まれたいといふことです。女性は本性的に空き箱になりやすいが、男性は相当意識して努力しないと空き箱にはなれない。生まれながらにハンデを負つてゐるのです。

中に何もない、完全な空き箱にならうと努力することを
「真の自分を探す」
と言ふのです。

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