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敵(かだぎ)だつても、でァじにしろ

kitasendo
20200730 

日本の総人口に占めるキリスト教信者の割合は1.1%。100人に1人といふかなり低いレベルです。隣国韓国で30%に近いのと比べると、その少なさは際立つてゐます。

なぜそんなに少ないのか、その理由はいろいろに分析できるでせう。さういふ中で、『ケセン語訳新約聖書』を上梓した山浦玄嗣(やまうらはるつぐ)さんは聖書の日本語訳にもその理由があると面白い説を立ててゐる。

山浦さんはその分野のプロの文筆家ではない。大船渡に医院を開業しながら、現役の医師として働く傍らで、ケセン語を独自に研究して『ケセン語大辞典』を編み、その上でケセン語でギリシャ語から新約聖書を訳し直したのです。

「ケセン語」といふのはどこか北欧当たりの言葉のやうに聞こえますが、実はさうではない。東北は岩手県気仙地方の言葉です。

山浦さんは東京に生まれるが、間もなく気仙郡に移つて育つ。所謂標準語もちやんと喋れるものの、本当の気持ちを伝えられるのは気仙地方の言葉しかないと言ふ。

東北の言葉は昔からズーズー弁と呼ばれ、田舎のおかしな方言の代表のやうに言はれてきた。山浦さんはそれが悔しくて堪らなかつた。

生まれながらにカソリックだつた山浦さんは「立派な標準語」で書かれた聖書に深い不満を抱いてゐた。なぜかといふと、こんな言葉で読んだつて、ケセンの人にはチンプンカンプン。まつたく実感が湧いてこないといふのです。それではいくら良い教へであつても、親しみが湧かない。「どこかの外国の、有り難い教へ」といふ感じで、敬して遠ざかる。

山浦さんのケセン語訳をいくつか参照してみましょう。

キリスト教は「愛」の宗教だとよく言はれるが、日本語には馴染まない。生活観が乏しい。

ヒゲ面のイエスとペテロが、「あなたは、私を愛するか」「主よ、あなたを愛します」なんて、気持ちが悪い。そこで山浦さんのケセン語訳はこんなふうになる。

「おれを大事に思ふか」
「はあ、旦那様、おれァおめァ様に惚れておりゃす」

イエス様が各地を宣教中、12年間出血症を患つてゐた女がイエス様の着物の裾に触るとその病が治つたといふ逸話があります。それに気づいたイエス様がその女に言つた言葉。

「娘よ、あなたの信仰があなたを救つた」

この訳に山浦さんはめちやくちや腹が立つといふ。まづ、この女は「娘」ではない。血の病を12年も患つてゐるのだから、初潮から考へて20歳以下ではない。当時の結婚年齢は平均15歳。だからこの女は既婚の人に決まつてゐる。さういふ年配の女性をケセン語では「カアさん」と言ふ。

それに「信仰」といふのは神仏に対する帰依をいふが、当時のユダヤ人が、生身の人間を、しかも大工あがりの「まじない師」を神様と思ふはずがない。ギリシャ語の原義は「信頼」といふ意味なので、それを考慮すると、イエス様の言葉はかうなる。

「カアさん、よがつだな。おれを力頼りに思つてくれるその気持ちが、おめえを治しだなァ」

最後にもう一つ。
「汝の敵を愛せ」といふ極めて高尚な教へがあります。これを訳すときも「愛」といふ生活感のない言葉は使はない。

「そなだァども、聞いでだとおり、『となりびとォ大事(でえじ)にしろ。敵(かだぎ)を憎め』つて語らィでる。んだども、自分(おら)ァ語つておぐ。敵(かだぎ)だつても大事(でァじ)にし、吾人(われひと)ォ苛(せァな)む者のために良がれど祈れ」

「生活感のない言葉といふのは、ただ空疎なだけで、なんの力もない。せつかく素晴らしいものが、空疎な言葉で語られてきたために、いつまでも大衆の中に入つていかない」
と山浦さんは言はれる。

山浦さんが教会で「山上の垂訓」をケセン語で読み上げた時のこと。ある高齢の女性が感激して言つたといふ。

「いがったよ! おら、こうして長年教会さ通(あり)ってね、イエスさまのことばもさまざま聞き申してきたどもね、今日ぐれァイエスさまの気持ちァわかったことァなかったよ!」

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