解体といふ創造
私は、書くのが職業だから、この職業に、自分の喜びも悲しみも託して、この職業に深入りしております。深入りしてみると、仕事の中に、自ずから一種職業の秘密とでも言うべきものが現れて来るのを感じて来る。 秘密と申しても、無論これは公開したくないという意味の秘密ではない、公開が不可能なのだ。人には全く通じ様もない或るものなのだ。それどころか、自分にもはっきりしたものではないかも知れぬ。 ともかく、私は、自分の職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに、そのなかだけに、私の考え方、私の感じ方、要するに私の生きる流儀を感得している。かような意識が職業に対する愛着であります。 (『私の人生観』小林秀雄) |
テレビを観てゐると、「解体キングダム」といふ風変わりなタイトルが写って、日本全国各地で古い建物を解体するプロが出てくる。
風変わりだけど今風で面白いタイトルだなと思ひながら見ていると、出てくる解体のプロたちの解体技術がまたすごいのです。
建物を立てれば、いつかは解体しなければならない時が来る。
建築は晴れやかだが、解体はひつそりと行はれる。
古い建物を無に戻すことに関心を持つ人は珍しいでせう。
だから「解体」といふことを表舞台に出した番組が視聴率を稼げるやうには思へない。
ところが、解体の一部始終にはドラマがあり、これを遂行するプロたちの技術は凄いのです。
小林は書くのが職業だから、書くといふ職業の命ずる特殊な具体的技術を極める中で生きる流儀を感得してゐると言ふ。
それと同じで、解体のプロたちはその解体といふ職業の命ずる特殊な具体的技術を極めてゐる。
その極めてゐる姿の中に彼らの生きる流儀が見えるやうで、かういふ仕事にも面白みがあるものだなあと感心したのです。
昔大きな建物を建てるときには、当然ながら頑丈に作つて長持ちさせようと考へる。
だからできるだけ頑丈な資材を使ふ。
それは仕方がないことのやうにも思へるが、そんな建物もいつかは解体すべき時が来るといふことを、人は考へないものだらうか。
例へば、中が空洞で軽いけれども頑丈で壊しにくい柱が使はれてゐる建物を解体するとき、解体のプロも難渋する。
解体の仕方も普通とは違ふ工夫をする必要があるし、柱を倒すのに通常の何倍もの時間がかかる。
そのやうに難渋しながらも、あらぬ方向に倒壊するやうな事故も起こさずに、上手い具合に解体してみせる。
作業中は、神経が最高に緊張し集中してゐる。
だから
「上手くやれさうですか」
とレポーターが声をかけると、
「戦時中です」
といふ答へが返つてくる。
作業を無事に終へて、緊張が解け、晴れやかな顔で
「僕らはこの仕事を『創造』だと思つてゐるんですよ」
と言ふプロもゐる。
その建物を建てる時は当然「創造」するといふ自負を抱くものでせうが、それを解体するときもまた「創造」だといふのです。
「解体といふ創造」
それが解体のプロの「感じ方」であり、「生きる流儀」のやうに感じます。
そして、解体といふ職業への「愛着」でもあるのです。

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