おつかさんといふ蛍が飛んでゐた
母が死んだ数日後の或る日、妙な経験をした。 仏に上げる蝋燭を切らしたのに気附き、買いに出かけた。私の家は、扇ヵ谷(おうぎがやつ)の奥にあって、家の前の道に沿うて小川が流れていた。もう夕暮れであった。 門を出ると、行手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。 今まで見た事もない様な大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れることが出来なかった。 (『感想』小林秀雄) |
この季節、5月の末から6月にかけて、私の家の周りにも随所に蛍が舞ふやうになります。
19年前のこの季節にも蛍が随分たくさん飛んでゐて、その頃まだ小学校へ上がるか上がらない子どもたちを連れて近くの川で夢中になつて蛍を狩つた。
それを袋に詰めて家に持ち帰つて妻に見せると、その時どんな反応をしたのか、はつきりと覚えてゐない。
それから間もなくして妻が聖和(他界)したので、ひときわ鮮明にその年の蛍を思ひ出すだけです。
小林が蛍を見たのは、母親(おっかさん)が亡くなつた直後のことです。
「母の死は、非常に私の心にこたえた」
と小林が書いてゐるので、蛍を見た時の彼の心はある程度推察ができます。
その年初めて見る蛍が、見た事もないほど大ぶりのもので、見事に光つてゐる。
それを見て、
「おつかさんは今蛍になつてゐる」
と、ふと思つた。
さういふ体験はあり得るな、と思ひます。
ところが、小林はそのすぐ後で、
「実を言へば、私は事実を少しも正確には書いてゐない」
と告白してゐるのです。
「今年初めて見る蛍だ」
「普通とは異つて実によく光る」
などとは少しも考へはしなかつた。
さらには
「おつかさんが蛍になつたとさへ考へはしなかつた」
と明かすのです。
それなら、本当のところはどう思つたのか。
「門を出ると、おつかさんといふ蛍が飛んでゐた」
これがそのときの小林の一番正直な心の有り様です。
しかしそれならどうして、初めからそんなふうに書かないのでせうか。
「おつかさんといふ蛍が飛んでゐた」
といふのは、理屈の要らない直観です。
「今年初めて見る」とか「大ぶりだ」とかは、その直感に対する後付けの解釈です。
小林本人にとつてはそんな解釈など何の役にも立たない。
本人にとつて不要な解釈をわざわざ初めに書いたのは、もしかして読者を慮つてのことかも知れない、と思ふ。
そのやうに書けば、
「蛍の光とお母さんの魂のイメージが重なつたのだな」
と読者はすんなりと納得がいくだらう。
だがそんな解釈は、本当のところ、読者にとつても必要ではない。
小林が本当に言ひたかつたのは、
「『おつかさんといふ蛍が飛んでゐた』と書けば、それだけで皆さんもそのまま分かるでせう」
と言ふことです。
もしもこれと似たやうな体験をした人であれば、そのまますんなりと分かるのではないでせうか。
私は分かる気がする。
だから
「最初に書いたやうな解釈は、実は誰にとつても真実な体験においては不要なものだ」
といふことを、小林は言ひたい。
小林が本当に体験したのは、
「おつかさんといふ蛍が目の前を飛んでゐるといふ考へから逃れられなかつた」
といふことだけです。
それが我々の人生の真実の姿でせう。

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