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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

不可知、無所得

2020/05/07
瞑想三昧 0
20200507 

明け方、布団の中で白隠禅師のことを思ひ出す。

禅師は
「不可知、無所得」
と仰つた。

その意は字義に沿へば
「知ることができない、得ることができない」
となりますが、禅師は
「知らうとしてはいけない、得ようとしてはいけない」
と解釈しました。

何を?

「なぜ、こんなことが私の身に起こるのか」
その理由を知らうとするな、自分なりの結果を得ようとするな、と言ふのです。

禅師は身をもつてそれを実践した人です。

村の娘が若い男と懇意になつて子を身籠つた。
父の怒りを恐れて、「お寺の禅師様と…」と嘘をつく。

怒鳴り込んできた父親に生まれたばかりの赤子を押しつけられた時、禅師はただ一言
「ほう、さうか」
と言つて、その赤子を受け取るのです。

そして数年後、娘の告白で真実が分かり、父親が平身低頭謝罪しながら赤子を引き取りに来た時もまた、
「ほう、さうか」
と一言言つて、赤子を返す。

なぜこんな理不尽が我が身に降りかかつたかと思ふ時、
「不可知、無所得」
なのです。

もし私が禅師のやうな境遇に陥つたら
「ほう、さうか」
は(ほぼ絶対に)出てこない。

しかし、今現実の状況に対してなら私は
「ほう、さうか」
と言へるだらうか。

さう思ひながら、禅師を思ひ出したのです。

ここ数日間、夜中にほとんど眠れない。
おばあちゃんが1時間おき、短い時は40分くらゐで起き出してトイレを探すのです。

先日購入した簡易トイレをベツドのすぐ横に置いてゐる。
ところが目がよく見えないおばあちゃんは、いくら教へても、それが分からない。
それであらぬ方向に部屋の中をうろうろし始め、障子を開け、襖を開ける。

隣りの部屋で休んでゐる私は、ごそごそといふ物音ですぐに目が覚める。
宵の内ならすぐに起きて、手を引いてトイレまで連れて行く。
しかし夜中の2時を過ぎ3時を回る頃になると、さすがに眠くてすぐ起き出す気力がない。

そんな日が続く中、ある夜私の脳裏に白隠禅師が現れ、
「ほう、さうか」
といふ声が聞こえて来たやうな気がしたのです。

「不可知、無所得だよ。理由は分からない。しかし来るものは拒まず受け取るのがよい。私もいはれのない赤子を押しつけられた。妻もゐない。村の中を冷たい視線を受けながらいつまでもらひ乳して歩けばいいのか、先のことは分からなかつた」

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