女は主体、男は対象
斎藤一人さんの話を聞いてゐて、長い間、思ひ違ひしてゐたことに気づきました。
男は愛の主体、女は美の対象。
さう思つてきた。
しかしそれは思ひ違ひで、本当は
「男は愛されたい者、女は愛したい者」
のやうです。
話を聞いてゐると、
「なるほど、さうかも知れないな」
といふ気がしてきます。
「私は男だから愛さなければならない」
と思つてきたのですが、実際には上手く愛することができない。
どんなふうに愛すればいいのか、よく分からない。
それで
「私には愛がないなあ」
とづつと彷徨つてきました。
しかし実は、物事を反対に考えてゐたとすれば、上手くできなかつたのが道理なのです。(と、半分自分を慰める)
男性は女性を愛さうと思はなくていい。
一方、女性は愛を豊かに持つてゐるので、男性を愛したい。
だから男性から頼まれなくても、何かをして喜ばせてあげたいと思ふ。
結婚して子どもができれば、その子を愛したいのも女性であり、実際に愛して細々世話ができるのも女性なのです。
男性が子育てをしようとすると、とても女性がするやうにはいかない現実に気づきます。
愛したい者の女性の凄さがはつきり分かります。
結婚した当初は料理もよく作つてくれるし、気配りもしてくれて、
「妻はいいなあ」
と思つてゐたのに、子どもができるとお母さんの愛がその子に流れるやうになつて、旦那さんは寂しく感じる。
男性は愛されたい者なので、女性から愛がこなくなると寂しくなるのです。
男性が女性を愛することはできない。
できないといふのは言ひ過ぎかも知れないが、上手くできない。
だから男性は愛することよりも、いかによく愛されるかを考へたはうがいい。
そのためには、女性が愛したくなるやうな男性になる努力をする。
一番簡単な方法は、外に出て一生懸命働き、収入を増やして女性に届けることです。
愛することは下手だが、男性はよく働けるやうに体の構造がさうなつてゐます。
愛されたい者の体の構造でせう。
二番目の方法は、格好いい男になることです。
恰好いい男性、愛するに足る男性を愛したいのが、女性の心です。
子どもが少し大きくなつて、妻が外に出て働いてみたいと言つてきたとき、
「働くのはいいけど、俺の飯はちやんとできるのか?」
などとは答へてはいけない。
それでは自分のことばかり心配してゐる。
これほど格好悪いことはない。
さういふときは、
「外に出ていろいろ体験してみるのもいいことだと思ふよ。辛くなつたらいつでも辞めて家に帰つてきな。俺が頑張つて、どんなことがあつても何とかするから」
と答へる。
一方、女性は男性に対してどんな振る舞いをしたらいいのか。
男性は愛されたい。
愛されたいがために一生懸命に働くし頑張る。
だからさういふときに、女性は男性をとにかく褒めてあげないといけない。
褒めないで指摘し、貶し続けると、男性は働く意欲を失ひ自信を失つて、格好良さを維持することができなくなるのです。
男性が家庭の中で旦那さん、お父さんの位置がなくなつたら、いいことがない。
いつもお母さんに貶されてゐるお父さんがたまに子どもに説教しようとしても、そんな説教をこどもは聞くはずがない。
女は惚れたい主体。
男は惚れられたい対象。

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