ブログタイトルを変へます
去る2月12日に当ブログのタイトルを変更。
退職に伴つて教育部長の役職もなくなつたので、取り敢えず「元教育部長の講義日記」としておきました。
以来、あれこれ模索はしながらも新しい構想が浮かばないまま、2カ月あまりが経過。
考へるのに行き詰ると視点を変へて、ひたすら家中のものを片づけ続け、押し入れ、箪笥、書棚などのもの、古い家具など、多分7割以上を処分したと思ひます。
もはや教育部長でもないし、元教育部長からもそろそろ離れたい。
新しい私は何者として現れるだらうと考へながら、数日前、書棚の一角に並ぶ1冊にふと目が留まり、手に取つて読み出しました。
『あるがままに生きる』(足立幸子)
多分10年以上前に買つた本で、今回の徹底断捨離でも捨てるに捨てられず残しておいた貴重な1冊です。
分類すれば、波動系の本です。
この本の中で足立さんは言ふ。
私たちの意識レベルが段階的に上がつていくと、ある段階までは肉体が意識に対して支配権を持つてゐるのが、どこかで逆転して意識が主導権を持つやうになると言ふ。
そして、その逆転した後の意識のイメージを「〇」で描いてゐるのです。
それを読みながら床に就き、目が覚めた翌朝、響いてきたのが
「まるくまーる」
といふ言葉。
どういふ意味?
初耳です。
睡眠といふのは疲れを取るものでありながら、明け方に目が覚めると、なぜか体に力が入つて固くなつてゐることが多い。
その朝もさうだつたので、体の力を抜いて少し丸くなつてみると、その時に浮かんだのがこの「まるくまーる」だつたのです。
初耳だけど、どこかで聞いたことがあるやうな気もする。
さう思つてスマホでググつてみると、
「メルクマール(merkmal)」
といふドイツ語がある。
英語で言へば「マイルストーン(milestone)」つまり「道標」とか「里程標」といふやうな意味です。
それはまあどうでもいいことですが、
「これを新しいタイトルに、どう?」
と言はれてゐるのかといふ気がしてくる。
「こんな意味も分からない言葉がタイトルになるか?」
理性派の私には抵抗感があります。
それでも…
人が本然の姿に近づくにつれ、その人の意識のイメージは〇になり、それがさらに上がると◎、三重〇に変化する。
メルクマールは「指標」「中間目標」だから、それに似たまるくまーるは成長の過程を着実に登るイメージが連想される。
理性でそんなふうに納得しながら、タイトルをこれまでとまつたく違つた響きの
「まるくまーる」
に変へることにします。
(念のため、しばらくカッコ内に旧タイトルを残しておきます)
『あるがままに生きる』
に挟んであつた手作りの栞には、こんな文総裁の言葉がありました。
「人間の考へが正しいとしても、神様のみ言葉にまづ従ひなさい」

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