解決法は自分が一番見たくない所にある
世の中はプラスとマイナスが必ずペアでせう? だから問題(マイナス)が一つ起こるといふことは、その問題の解決法(プラス)も一つあるといふことです。 解決法のない問題は起こらない。 それなのに、なぜ解決法がなかなか分からないのか。 必ずあるはずなのに、見つけるのに時間がかかることが多い。 解決法は自分が一番見たくない所にあるからです。 (斎藤一人) |
斎藤さんの著書はどの書店の棚にもたくさん並んでゐます。
相当名の知れた実業家です。
毎年のやうに高額納税者ベスト10に入る人で、独特の商才があるやうです。
私はあまり読んだことがないが、最近時々youtubeで彼のトークを聞くことがあります。
どこか目に見えない所に人生について教へてくれる方があると言つておられます。
冒頭に引用したのはトークの一部(要約)です。
問題とその解決法とは必ずセットになつてゐる。
しかし人はその解決法を探し出すのに難儀することが多い。
それは、解決法がその人にとつて一番目を向けたくない所にあるからだ。
その話を聞きながら
「本当にさうだらうな」
といふ気がしました。
人生には次々に問題が起こる。
どうしてかうも休む間もなく起こるのだらうと訝るほど起こる。
起こる理由は私を困らせるためではなく、その問題を解決するためである。
文総裁が「蕩減の法則」として説明されたのは、このことだらうと思ひます。
問題はそれを解決するためだけに起こる。
それ以外の目的はない。
だから問題の裏側には必ずその解決策が随伴してゐる。
随伴してゐるのに、問題に直面した本人はなかなかその解決策を見つけられない。
なぜ見つけられないかと言ふと、解決策がないところばかりを探すからです。
人は解決策を、まづ自分の外側に探さうとするものです。
「環境が悪かつたのではないか」
「条件が揃つてゐなかつたからではないか」
「あの人が邪魔をしたからではないか」
そんなふうに、自分以外の要因の中に問題の原因を求め、それを変更改善することで解決できないかと考へる。
それらの外的要因は見易いのです。
ところが、そこには本当の解決策はない。
本当の解決策は自分自身の中にある。
そこにしかない。
しかし人は通常自分の中を見たくないのです。
なぜ見たくないのか。
自分自身の中に問題の本質的原因があることを認め、自分自身を変へなくてはならないからです。
文総裁の言はれる「蕩減の法則」とは、本来あるべき自分の姿を回復するための基本原則だと考へることができます。
本来の自分を回復するために問題が一つ一つ起こる。
それを正しく受け止め解決することで蕩減条件が成立し、段階的に本来の自分に回帰(復活)していくのです。
その正しい受け止め方が
「問題の原因もその解決方法も、自分の中にある」
と考へることです。
人は誰でも、かういふ考へ方をしたくない。
自分はいつも正しいと考へ(信じ)たい。
全く正しいとまで思へなくても、さうである自分には何らかの正当的な理由があると自己弁明したい。
だから、自分の中の本当の有様に目を向けたくない。
本当に問題を解決しようとするなら、自分が一番見たくない所に目を向けるやうにしよう。
それが「蕩減の法則」に合致することです。

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