FC2ブログ
まるくまーる(旧・元教育部長の講義日記)

神を殺したのは科学ではない

2020/03/28
読書日記 0
池田晶子
20200328 

神を殺したのは科学じゃない。科学はすでに死んだものを埋葬しただけだと。
それでは殺したのは誰か。それは13、14世紀頃から起こってきた人間の世界経験の質の変化だと言うんですね。
(『君自身に還れ』池田晶子×大峯顯)


大峯氏が紹介してゐるこの説の発案者はマックス・シェーラーといふドイツ人哲学者です。

ヨーロッパでは中世末期ごろから所謂文芸復興(ルネッサンス)が興り始め、信仰よりも理性と経験を重視する方向へと進み、次第に神と信仰から離れていつた。
やがて宗教と科学の力関係が逆転すると、目に見えない霊的な世界は多くの人の観念の中から薄れていつた。

私など大体そんなふうに理解してゐたのですが、シェーラーはちょつと思ひがけない観点を提示します。

「人間の世界経験の質の変化」
といふのは響きが難しい。

どういふ意味かと言ふと、
「何のために働くか」
といふ観念が変化していつたとシェーラーは見るのです。

働くといふのは勿論いつの時代でも、生きていくため儲けるためといふ要素がある。

しかし中世まで人々は自分の仕事をそれだけでなく、
「神の栄光を讃へるための手段」
とも考へてゐた。

それが中世の末期頃から変化していつた。
神の栄光といふ観念が薄れ、仕事のための仕事といふ傾向が強くなつていく。

この変化こそが永生概念の殺害者だと、シェーラーは考へるのです。

尤も、なぜその時代に神の栄光といふ観念が薄れたのか、この対談からだけでは測りかねます。
いつの時代にも仕事のための仕事をする人もゐれば、何かしらより高いもののために仕事をする人はゐるものでせう。
池田氏も言ふやうに、プラトンの時代にも「食べるために生きる人」と「生きるために食べる人」はゐたといふのです。

私がシェーラーの説に興味を引かれるのは、中世末期にそのやうな変化が起きたといふ歴史分析よりも、仕事の捉へ方が永生観念に影響を与へるといふその独特の観点に対してです。

現代に生きて働く我々も、何のために毎日働くのか。

その労働観念如何で
「自分は食べて生きるだけの物質から構成された有限の存在なのか、それともより高いものとの繋がりを持ち得る永生の存在なのか」
といふ自己認識の違ひが生まれる。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



Comments 0

There are no comments yet.