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元教育部長の講義日記

家の中のものを8割減らさう

2020/03/24
生活日記 0
20200324 

退職して第二の人生を出発しようとするのに、なかなか思ふやうにいかない。
新しい出発の前に目途がつくまで過去を手放し整理するしかないと、毎日来る日も来る日も家の内外を片づけ続けてゐます。

階段の下に小さな物置がある。
手を付けるのが何だか怖くて長年そのままだつたのを、今回はやるしかない。

奥のはうまで手を伸ばしてみると、瓶の中に何やら分からない果実がアルコールに漬けてある。
他にも貰い物のウイスキーが随分ある。
どれもこれも飲みもせず何十年と寝かしてあるから、年代物で貴重かも知れないが、どんどん捨てる。
捨ててみると、物置に残しておくものはほとんどない。

次は、今おばあちゃんと一緒に寝てゐる床の間のある部屋。
寝室といふのはどの部屋よりもゴミもほこりもない空間でないといけないといふ話を聞いたので、ここも徹底的に片づける。
布団を敷いたときに頭や足のはうに目的もなく置いていた様々な小物もほぼすべて捨てる。
空気清浄機は1日中稼働させておく。

「家の中のものを8割減らせば、本当の転換ができる」
と言ふ人もありますが、我が家のものの量ではこれは到底不可能に近い。
これまでにやつと3割くらいは手放したでせうか。

私は今、溜まったものを手放すのにほとんど躊躇がありませんが、私のブログで「片づけ」と検索すると、こんまりさん(近藤麻理恵)に関するこんな記事がありました。

★★★

こんまりさん(近藤麻理恵)は、捨てられない理由は2つしかないと言ふ。

① 過去への執着
② 未来への不安

遠い昔の給料明細を捨てられない女性。

「あの頃自分はこんなに頑張つてゐたんだといふ証でしよ? これ、捨てられない」

サイズの合はなくなつた古い服を捨てられない女性。

「いつかダイエットして細くなつたら、これ着たい。捨てたくない」

かういふやり取りを見てゐると、我々の内面の心は目に見える持ち物を通してまざまざと現れるのだなと、改めて思ふ。

私は最近、心の中にたまつてゐるものも、その多くを捨てたらいい、捨てるべきだと考へるのです。

「私はこれまでこんなに頑張つてきた」
「私はまだまだ不足なので、将来が不安だ」

さういふ思ひは目には見えないけれども、昔の給料明細や古い服と全く同じやうだと感じます。
物を捨てられないのは結局そのものが象徴してゐる自分の心の中の思ひを捨てられないといふことです。

過去の執着を捨てられないのは、それを捨ててしまへば、その過去の土台の上にゐる今の自分までなくなつてしまふのではないかと怖いのです。

10年間づつと許せない人がゐるとします。
その10年間は「その人を許せない私」が私だつたのです。
もし今その人を許してしまへば、その10年間の私は一体何だつたの? といふことになる。
その10年間を捨てられないために、恨みも捨てられない。

おかしな理屈ですが、そんなおかしな理屈に縛られてゐる。

こんまりさんの考へ方に従つて、過去への執着も未来への不安も捨ててしまはう。
それがないと生きていけないと思ふのは、幻想にすぎない。

本当の私、本当の私の人生を取り戻すには、「今」に思ひをフォーカスする。

それをこんまり流では、
「ときめき」
と呼ぶのです。

古い服に何度も何度も触つてみる。
そのとき心にときめきを感じれば残すし、感じなければそれはもう私には要らないもの。
さう判断する。

「…でなければ生きていけない」といふ固定観念。
恐れ、不安、不平、不満。
「私が正しく、あなたがおかしい」といふ思ひ込み。

さういふものは私の肉心が溜め込んできたものです。
それが私を私らしくし、私の生きてきた過去の証だと思ひ込んでゐます。

「これらの思ひは、本当の私(神のかたちとしての私)とは何の関係もありませんので、今あつさりと手放します。有り難う」

数ケ月かけて手放し続けると、ゴミの山で足の踏み場もなかつた部屋が見違へるやうに片づいて、ゆつたりと落ち着けるアロマの部屋に変貌するのです。

★★★

だいぶ片づけてはきたものの、実際に我が家が「アロマの部屋」になるにはもうしばらくかかりさうです。

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