歌は遊びだからよ
武田鉄矢が目撃した加山雄三の生き方です。
二十歳そこそこの若い頃から自分で歌を作り、それを歌つてきた。
歌謡史に残る名曲も多い。
80歳を超えた今でも歌ひ続ける。
「随分長いこと歌ひ続けてゐますね。凄い根性ですね」
と武田が言ふと、
「なあ鉄矢、どうしてこんなに長く続くか分かるか」
と加山が問ひ返す。
「それは若大将の執念ですよ」
「さうぢやない。歌がなぜ続いてゐるかといふと、歌は遊びだからよ」
といふ思ひがけない答へに続いて、
「鉄矢、何かを真剣に長く続けようと思つたら、絶対にそれを仕事にするな。仕事にすると続かないぞ。遊びにするとづつと続く。歌は俺にとつて遊びなんだ。だから今まで苦しいと思つたことが一度もない」
武田は思ふ。
「日本人はよく力む。これまでの人生を『My Way』にしたがる。でも若大将は違ふ。遠くまでトンボを追いかけていく少年のやうな心で素敵なメロディを追つかけてきたんだ」
また武田が30代で売れつ子になり、忙しい仕事に追われてゐた頃、放送局の廊下で若大将とすれ違ふ。
若大将はさつと武田の顔を見て
「お前、顔が貧しくなつたぞ。光進丸にお前を乗せてやる。時間を捨てに行かう」
と誘つてくれた。
船で海に出る。
デッキの上で若大将が
「緞帳(どんちょう)だよ。緞帳がばあつと上がるやうに、日が沈んだと思つた次の瞬間から星が昇つて来るんだ」
武田は思ふ。
「この人は、東経西経、緯度経度で遊んでゐる人だ。こつちは角でしか遊んでない。新宿のあの角の何軒目の飲み屋なんかしか頭に浮かばない」
ある時、こんなことも教へてくれた。
「鉄矢、運命が性格を作るんぢやないぞ。性格が運命を作るんだ」
終始トップスターの道を歩いてきたやうに見える若大将も、実はいろいろな辛酸も舐めた。
大借金を抱へ、マスコミからも書き立てられて、たまらず夫婦でアメリカに逃げたことがある。
気持ちはどんどん暗くなる。
そんな時に手元に残つたお金で買つたのがハーレーダビッドソン。
「これでお前と2人でアメリカを横断しよう」
食料や毛布を買つて、どこかに野宿する。
妻と一緒に缶詰を開けて食べる。
夜になるとコヨーテが寄つて来ないやうに薪に火をつけて休む。
そんなふうにしてゐると、どこからともなくメロディーが浮かんでくる。
ギターを出してポロロンと弾いてみる。
曲ができる。
逃避行から日本に帰つて来て
「何か土産はないのか」
と言はれて
「こんな曲ができた」
と言つて録音したら、それが大ヒットする。
武田は思ふ。
「若大将はどんな暗い話から入つてもだんだん変はつていつて、最後には明るくなる。ずり落ちていつても、何かを掴んで、それが丈夫なロープになつて、最後はロープウェイに繋がつていくみたいな感じだなあ」
その若大将はもうすぐ83歳になる。

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