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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

9年目の3.11(その3)

2020/03/11
世の中を看る 0
20200311 

2011年震災が起こった年の秋の暮れ、本屋で出会つた1冊の本を元に書いた記事「震災の向こう側」の再録です。

ーー ここから再録 ーー

本屋で立ち読みをしてゐると、ベストセラーのコーナーに、飯田史彦氏の『
生きがいの創造 Ⅳ 』が並んでゐるので、パラパラとめくつてみました。

興味を惹かれたのは、3月11日の大震災で亡くなつた女性との対話が詳細に綴られてゐる部分です。
全くの事実そのものではないが、フィクションでもないとの著者の断りがついてゐます。

その女性は津波に呑まれてあつといふ間に絶命したのですが、対話の初め、本人はそのことに気がついてゐません。
対話をする内にだんだんと気がついていくのですが、それでもその事実を受け入れることに抵抗します。

どういふふうに気づいていくか。

今、自分は玄関にゐるつもりなのに、居間の様子が見える。
1階にゐると思つたら、いつの間にか2階にゐる。
これはどうも今までの感覚と違ふ、といふことを感じるのです。

それで、
「自分はもしかして...」
と思ひ始めるのですが、認めたくない。

なぜなら、生存してゐる家族と離れたくないからです。

飯田氏が家族に会ひに行くことを勧めると、彼らが避難してゐる場所が見えてきます。
幸いにも、どこかの体育館に夫も子どもたちも無事に避難してゐます。

そこへ行かうとすると、その瞬間、女性は体育館にゐます。
自分が来たことを伝へようとするのですが、残念ながら、夫は全く気がついてくれない。
不思議なことに、1歳を過ぎたばかりの娘だけがお母さんの存在に気がつきます。

さらに不思議なことには、言葉の喋れない娘と筋の通つた話ができるのです。
娘は母親がすでに肉体をなくしたことを認識し、なおかつ、それを嘆かない。

母親は家族と一緒にゐたいといふのに、娘は、
「行くべきところに行つたはうがいいよ」
と諭すのです。

そんなふうにして、この女性は次第に自分の死を受け入れる気持ちになつていき、最後にはあの世に昇天して行きます。

この女性の証言によれば、津波で数千数万の人々があつという間に命を落とした。
その内の大半は、しばらくすると上方から迎へに来た「光の存在」に導かれて、自然に昇つて行つたといふのです。

ところが、この女性のやうに、導きを拒否して昇っていかず、そのままこの世に残った人(すでに霊ですが)も、それなりの数だつたやうです。

この女性の他にも、ある男性が出てきて、
「自分は津波に流され、海の沖合数キロのところに沈んでゐる。他の多くの人たちと一緒にゐるので、辛くはない。家族には遺体を見てほしくはないので、知らせないで下さい」
と言伝したりします。

全体として、犠牲になつた人たちは突然の死そのものに大きな痛みを感じてゐるふうではありません。
突然の死を悲しむと言ふよりも、抵抗なくそれを受け入れ、また、生前の人生を悔いて苦しむといふこともあまりないやうに見えます。

これが事実そのものではないとしても、大きな災害で多大な人的被害を出した現実の、もう一つの側面を感じとるには有益な情報のやうに思ひます。
生き残つた人たちの目には瓦礫の山と化した被災地の姿が見えるだけであり、そこからの復興にのみ意識が向いてゐますから、命を落としてこの世の向かう側に行つた人たちの姿やその心には無頓着なことが多いからです。

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