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信頼預金はいつまでもない

kitasendo
20200307 

娘が銀行員になつたからといふわけではないが、娘と話してゐるとき
「預金残高」
の話題になりました。

正確には
「信頼の預金残高」

これはスティーブン・コビーの『7つの習慣』で提案されてゐるアイデアです。
今から20数年前、妻がガンの手術で入院した頃に読んだ本で、とてもインパクトが強かつた。

娘が
「人のことが結構許せる寛い心を持つてると思つてゐたのに、現実にはなかなか許せないのよ」
と言ふので、昔の本を思ひ出したのです。

普通だつたら許し難い。
被害を及ぼした相手を非難せずにはおれない。

さういふ状況で、相手を非難しない。

その努力を
「信頼の預金残高を積み立てる」
と表現するのです。

この預金残高が溜まれば溜まるほど、いざ自分が困つたときにそれを引き出して使へば、難を逃れることができる。
あるいは大難を小難に変へることができる。

具体的に言へば、自分が何か失敗をして相手から非難されざるを得ない状況に立ち至つたときに、その非難が緩やかになる。
あるいは、自分を助けてくれる人が現れる。

「相手を非難しないと言つても、ちゃんと言はないと相手は自分が非難されるやうなことをしたと自覚しないぢゃない。預金が溜まると言つたつて、相手が気がつかないならまた同じことをするかも知れない」

さう娘が反論するので、それも尤もなことだと思ひながら、
「この預金は、当の相手だけに使へるのぢやなく、他の人にも使へる。それがいいところだ」
と答へると、娘は
「何それ? 意味が分からない」
と首を捻る。

私がやるべきことをやれば、相手がそれに気づくかどうかに拘はらず、預金が溜まつていく。
それは当人同士の「意識」次元の話ではなく、いわば「無意識」の次元で行はれることなので、従つて預金は普遍的に運用されるのです。

「君の今の職場で上司がみな良い人だといふのも、君にそれなりの預金残高があるからぢやないのかな」

「私が預金を溜めて来てるとは思へない。そんな許してないもの」

「それなら、お父さんが君の名義で預金したのを君が使つてゐるのかも知れない。もしかしてお母さんが預金しておいてくれたのかも」

「…?」

「もしさうだとしても、引き出すだけなら早晩なくなるから、早めに自分で預金を始めないといけないね」

預金を積んでそれを自分を守るために使ふ。
さう言へば何だか打算的な感じがします。

しかし本当は、預金を積んでいるかどうかなど意識しない。

我慢しながら
「許し難いけど、許さう」
としかめ面で頑張るのではなく、さうすることが自分にとつて最適解だといふ気持ちでやつていくのが理想です。

でも許し難いのはやはり許し難いので、
「許せない」
といふ思ひは湧きます。

湧くうちはまだ修業が必要なので、
「許せないといふ思ひを手放します」
と繰り返す。

いつまで?

「許せない」
といふ思ひが湧かなくなるまで。

(改めて『7つの習慣』について調べてみると、「相手を許す」といふ方法は明示されてゐませんでした。半分私のフィクションですね)



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Admin:kitasendo