人生からの問いかけにどう答えれば、ベストの答えなのか
3年半ほど前の記事「なぜ私は判定で負けたのか」の加筆再録です。
―― ここから再録 ――
ロンドン五輪の金メダリストボクサー、村田諒太はその後プロに転向し、これまでに13戦して、この前の試合で初めて敗れた。
対戦相手はミドル級1位のアッサン・エンダム。
巷間
「不可解な判定負け」
といふやうな評が飛び交つてゐます。
12ラウンドの長丁場。
手数では相手に及ばなかつたが、2度までダウンを奪つた。
結果は、3人の審判が判定して1-2で敗れた。
「2人の審判は、一体どこを見てゐたのか」
といふ不審の声も多かつたのです。
ところが、当の村田自身は、先日NHKのインタビュー番組で、
「悔しくないと言へばウソだが、判定はあまり気にしてゐない。むしろ、闘争心の火に油を注いだ感じだ」
と語つたので、興味を惹かれました。
彼の告白によれば、アマチュアからプロに転向して、それまでに感じたことのない「恐怖」を感じるやうになつたらしい。
プロにはヘッドギアもない。
グローブはアマチュアの半分の薄さ。
試合の長さはアマチュアの4倍にもなる12ラウンド。
もし負ければ、
「五輪の金メダルは何だつたんだ」
と言はれ、かつての栄光がもろく崩れ去るかもしれない。
戦ひ方も変はつた。
得意のストレートが減つて、ジャブが極端に増えた。
相手との間合ひを取る戦ひ方です。
プロになつて恐怖と迷ひの中にある時、父親が何冊もの本を送つてきた。
哲学者のニーチェ、心理学者のアドラー、精神科医のフランクル。
インタビューの中で彼が引用したのが、次の2つです。
一つは、
「大切なのは、なにが与へられてゐるかではなく、与へられたものをどう使ふかである」
といふアドラーの言葉。
そしてもう一つはフランクルの、
「人生に意味を求めてはいけない。人生からの問ひかけに答へていくことが大切なのだ」
そして彼は、かう言ふ。
「ボクシングの試合で、自分がコントロールできないものがいつぱいある。例へば、レフェリーの判断。それからジャッジの判定。そして観客の感情。さういふ中で唯一コントロールできるのが、自分のプレーだけなんです」
「判定はおかしい。俺は勝つてた」
と主張することもできます。
しかし、
「今回、なぜ試合に負けたのか?」
といふのが人生からの問ひかけならば、そのやうな主張がベストの答へと言へるだらうか。
判定といふ、自分がコントロールできないものに言ひ訳を求めるのではなく、自分がコントロールできるもので答へるべきではないか。
さうすると、自分のプレーの内容で答へるしかない。
こんなふうに指摘する専門家もゐます。
「村田が判定で負けた責任は、セコンドにある。彼らが村田に『もつと手を出せ、とにかく積極的に打つていけ』とはつぱをかければ、素直な村田は絶対さうしてゐた。そして、絶対勝つたはずだ」
もつともらしい指摘にも思へる。
しかし、セコンドのやり方も、村田にとつてはコントロールできないものです。
だつたら、これもやはり、村田にとつてベストの答へとは言へない。
村田は結局、ボクシングと言ふものを通して、
「人生からの問ひかけにどう答へれば、ベストの答へなのか」
といふことを模索する人生を生きてゐる。
そして、彼は31歳にして、正しくこたへるためのヒントをすでに見つけてゐるなと思つたのです。
―― 再録はここまで ――
アッサン・エンダムとの試合は2017年5月20日。
判定を巡つてはいろいろなやり取りがあり、同年10月22日に再試合が行はれた。
結果は、村田が7回終了TKO勝ちを収め、日本人として竹原慎二以来22年ぶり2人目のミドル級世界王者となつた。

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