雨にけふる神島
昨日還暦をお迎えになつた今上天皇の祖父に当たる昭和天皇が生物学者として海洋生物や植物の研究に力を注がれたことはよく知られてゐる。
どの分野に惹かれて没頭するかはその人なりの性向によるものにもせよ、養老孟司先生が興味深い指摘をしておられます。
世の中と付き合っていると、気が狂いそうになる。それを救うには博物学にしくはない。 同じくそれをよく理解した人が、もう一人あった。それは昭和天皇である。森永キャラメルの箱に入れた標本を、天皇は(南方)熊楠から貰う。そんなことをする人は今も昔もいない。しかし「それでいいではないか」と天皇自身が語った。 熊楠記念館の入り口近くに、昭和天皇の御製の碑がある。 「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」 昭和天皇は熊楠のような変人ではなかったであろう。しかしきわめて多事多難の人生を送られる運命にあった。最後までそれに黙々とつき合った人である。癇癪を起さず狂気に陥らない。それが昭和天皇の博物学研究だったのであろう。 熊楠も昭和天皇も、世間に半分だけ足を置く。残りの半分は、多分自然の世界に置いてある。それが狂気に陥らない秘訣である。それは、人は心と体というあまりにも古典的な見解、それそのままといってよかろう。世間は意識の世界、つまり心で、身体は無意識の世界、自然だからである。 (『養老孟司の大言論〈1〉』) |
南方熊楠(みなかたくまぐす)は南紀出身の博物学の大家です。
頭脳は抜群に良かつた反面(といふかそれ故に)かなりの奇人であつたらしい。
その彼が1929年に南紀の田辺湾上、神島の近くで昭和天皇にご進講したことがある。
標本をキャラメルの箱に入れて天皇に渡すといふのですから、これは確かにかなりの奇人です。
後年、その時のことを思ひ出されてお詠みになつたのが、上に引用した「雨にけふる神島を見て…」です。
熊楠は奇人であると同時にかなりの癇癪もちで、
「こいつは下手をすると狂人になるのではないか」
と周囲が憂へたといふ。
それを救つたのが「遊戯同様の面白き学問」つまり標本を集めることだつた。
養老先生も博物学の人だから、熊楠の気持ちがよく分かる。
そして昭和天皇も同じやうなお気持ちだつたのではないかと先生は推察するのです。
昭和天皇は熊楠のごとき変人ではないが、あの動乱の昭和の時代、まともに人の世だけで生きれば気が狂いさうであつただらうとは、私にも想像できます。
それを救つたのが生物学、博物学の世界であつたとは、養老先生ならではのはつとする着眼点です。

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