心を探る問いかけ
大阪市立大空小学校には校則が一つしかない。
「自分がされて嫌なことは、人に絶対しない、言はない」
あとは自由で、細かいことは言はない。
障害者手帳を持つてゐる子や不登校だつた子も相当数ゐて、他の子とみんな一緒のクラスで学んでゐる。
椅子にぢつと座つてゐられず床に寝そべる子もゐるが、他の子は気にしない。
手のかかる子がたくさんゐるのに、先生方はみんな定時に帰られる。
これは先生方が最近よく言はれる「働き方改革」を試みてさうなつたのではありません。
子どもたちが最も集中して実りある学びのできる環境をいかに作るかといふ「学び方改革」を進めていつた結果です。
例へば、不登校の子どもたちは先生が怖い。
なぜ怖いかといふと、規則規則で子どもたちを監視してゐるからです。
椅子の座り方、手の挙げ方、忘れ物、挨拶のし方、持ち物の置き場所などなど、軍隊みたいに厳しくチェックされて、周りと少しでも違ふと注意される。
だから子どもたちは学校のことを
「牢屋、刑務所」
とも言ふのです。
それで大空小では細かな校則はおかず、どんな子もみんな一緒に学ばせる。
良い意味で多様性の中に子どもたちを置くと、お互い同士で接し方を学んでいくのです。
先生が自分のことを管理者だと考へれば、細かな校則がないと秩序を保てないのではないかといふ心配があり得ます。
しかし校則に隠れて見落とすものもあるのです。
例へば
「学校にカードゲームを持つて来てはならない」
といふ校則があるとします。
それでもカードを密かに持つてくる子を見つけたら、
「それはだめだと校則にあるのに、なぜ持つてくるのか」
と、校則を破つたといふ現象だけを見て終はる可能性があります。
しかし校則がない中で持つてくる子がゐたら、
「この子はなぜカードを持つてくるのだらう。授業が面白くないのか。学校が楽しくないのか。友だちと何かあつたのか」
といふやうな、その子の心を探る問いかけが出てくるのです。
校則といふのは、言つてみれば「正義」です。
これを守れば良い子、守れなければ問題児。
そのやうに正義の基準で生徒を簡単に判断、峻別できます。
現象で判断できるので簡単なのですが、なぜその子はそのやうに行動したのかといふ内面の心を見ないやうになる。
大空小が校則をたつた一つの単純なものだけにした理由が、そこにあります。
これは学校といふ教育の場にだけ当てはまる問題でせうか。
何よりも家庭において、規則で峻別するよりも相手の心を探る問いかけの姿勢がもつと重要でせう。

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