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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

本当に相手のために為す主張なのか

2019/11/06
生活日記 0
20191106 

おばあちゃん(我が老母)と一つ部屋に寝るやうになつて4ヶ月くらいになるでせうか。

今朝、明け方5時前でしょうか、ふと目が覚めて隣りを見ると、布団がもぬけの殻。
夜中に大体2回か3回はトイレに立つからそれだらうと思つてしばらく待つても帰って来ない。

これはどうしたものかと心配になつて、音のする台所に行つてみると、シンクに向かつて何やらやつてゐる後姿が見える。
どうやら夜中に起きてそのまま眠らずに、明け方までづつと台所で作業をしてゐたようです。

IHの上に鍋が乗つてゐるので、何か作つたなと思つて蓋を開けてのぞき込むと、味噌汁らしきものが作りかけてある。
まだ味噌は入つてゐない。
黄色味を帯びた具が入つてゐるので、珍しいなと思つてよく見ると、どうやら沢庵らしい。

調理台の上に即席みそ汁の具の袋が一つ、封を破つて置いてある。
おかしいな、鍋には入れてゐないやうだがと思ひながら足元の床に目を転じると、愛犬ラッキーのエサ皿の中に、ドッグフードに混ぜてみそ汁の具が入つてゐる。

洗つた食器を入れる籠の中に、マーガリンのケースがきれいに洗つて入れてある。
まだマーガリンが半分くらい残つてゐたはずだが、それは一体どこへ行つたのか。
鍋の味噌汁には油は浮いてなかつたし、床を見回してもそれらしいものは散らばつてゐない。

冷蔵庫を開けてみる。
中段には浄水ポットが入れてあるが、見るとそれが分解されて、ポットの底にシメジが浮かんでゐる。

夜中に一人で随分いろんな作業をしたなあと思ふ。
緑内障がだいぶ進んで、何がどこにあるか、薄ぼんやりとしか見えない。

夕方になると、おばあちゃんは決まつて心配になることがある。
今日は果たして2人の孫が帰つて来るのか。
帰つて来るなら玄関の鍵はかけず、門灯も点けておいてやらないと困るだらう。
夕食も要るから、ご飯は足りるだらうか。

それが心配で、必ず私に尋ねるのですが、それが大抵一度や二度ではない。
恐らく昨夜も目が覚めて見るとそのことが気になつてしようがなく、門灯も点け、味噌汁も作つて準備しようとしたのでせう。

ところが目がよく見えないから、長い時間かけてやつたことは私が見ると、
「おばあちゃん、随分やつてくれたなあ」
といふため息が漏れるやうな有様なのです。

因みに今夕帰つて来てみると、さすがに徹夜は疲れたやうで、声をかけても目を覚まさないほど布団の中で熟睡してゐる。
台所にはまた鍋が乗つてゐて、見るとまた味噌汁もどきが作りかけてあるのですが、汁がやけに赤つぽい。
味噌ではないなと思ひながら冷蔵庫を見回すと、コチュジャンの入れ物の蓋が開いてゐる。

かういふ有様に直面すると、おかしな所業の一つ一つを指摘して、何がどうおかしいかをおばあちゃんに知らしめずには気が済まない思ひになるのです。

非(と私が思ふこと)を難じて、それを相手が受け入れ、
「ごめんなさい、私が間違つておりました」
と認めてくれれば、私の溜飲が下がる。

おばあちゃんといふ相手は目もよく見えず、頭もよく働かないので、私が期待するやうな基準の行動は大抵の場合とれない。
正常な(と私が思つてゐる)基準は私が持つており、おばあちゃんはその基準を満たさない。
それがおばあちゃんには難しいといふことは、私も重々承知してゐる。

にも拘らず、非を難じずにはおれない。
これは一体どういふことだらう。

「私が正しい」
と思つてゐる人は、それを主張せずにはおれない。

主張する目的は、それを相手が受け入れることによつて相手がより正しい人になつてくれるところにある(と私は思つてゐる)。
しかしそれは本当に相手のために為す主張なのか。
もしかして、自己を満足させるための主張ではないのかとも疑はれるのです。

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