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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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おばあちゃんとの後日談

20191009

先日の記事「どうしてこんなに腹立たしいのだらう」の後日談ですが、おばあちゃんの質問攻めはこのところだいぶ落ち着いてきました。
多くて5回、普通は3回程度に収まつてゐるのです。

その秘訣はやはり、私の「腹立たしい」気持ちが治まつてきたからのやうな気がします。

先日の記事で書いた第3の解決法
「繰り返し同じことを尋ねられるのを喜ぶ」
といふ努力をすると、不思議とおばあちゃんは3回くらい同じ質問を繰り返したあたりで納得するのです。

「〇〇ちゃんは東京、△△ちゃんは近くのアパートかいね? 今夜はこんなに遅くなつたから、もう帰つてこんだらうね」
などと、手を叩いて万歳を叫びたくなるやうな明瞭な理解を示したりします。

私が腹を立てず、面白がつて対応すると、おばあちゃんの理解力が上がる(やうに見える)。
これはどういふことだらう。

同じ内容でも腹立たしい気持ちできつい言葉で言ふと、おばあちゃんはそれを聞きたくない。
聞くだけでも心が痛いので、どこかで拒絶してゐる。
すると記憶に残らないから、同じことをまた聞くことになる。

大体そんなことだらうかと推測します。

しかし身近な人であればあるほど、その相手が自分の感覚に合わないのに腹を立てないといふのは容易なことではないと思ひます。

つい先日、3カ月ぶりに清平に行つてきたのですが、帰りの飛行機で隣に座った2人は親子(父と娘)のやうに見えました。
娘さんは「終活ノート」らしきものを開いて、もしもの時に備へて父親に葬儀のことやら財産のことやらをいちいち確認しようとする。

ところが父親のはうは少し認知が入つてゐるやうにも見え、答へがあまり要領を得ないし、時折声が突然大きくなつて、近隣の乗客を驚かせたりするのです。
娘さんはさういふお父さんの様子を分かつてゐるから、結構うまく御してゐるのですが、それでも時々言葉がきつくなる。

言葉に「険がある」と言つたらいいでせうか。

しかし私はすぐ隣でやり取りを聞いてゐて、
「これつて、まあ仕方ないよな」
と、娘さんに同情せざるを得ない。

すぐ隣であんなふうに常軌を逸した大声を出されたら、なかなか冷静ではゐられない。

どうしても
「あなた、どうして目の前の私にそんな大声を出すの?」
と言ひたくなるでせう。

「私は常識に従つて話してゐるんだから、あなたも常識的に応じてよ」
と要求したくなつてもおかしくない。

しかし、と思ふ。

どうしてお父さんはこんなふうになつたのだらう。
どうしてこの娘さんは、かういふお父さんの世話をしないといけない羽目になつたのだらう。

さう考へると、これは一概に偶然とは言へないかも知れない。
あるいは、もし偶然だとしても、それを偶然だと考へないはうがいいやうな気がする。

この娘さんはこのお父さんを通して悟るべきことがある。
昔は優しい、思ひやりのあるお父さんだつたかも知れないが、このやうに変はつてしまつたお父さんに対することで、娘さんの考へ方や心の形を変へやうとする神様の意図がないとも限らない。
あるいは、ここで「甘受」することを通して蕩減条件が立つといふチャンスかも知れない。

私もさうだらうと思ひます。
良心の目で見れば、おばあちゃんが私の救世主だといふことはほぼ間違ひないだらうと分かつてゐます。

大抵の人の身近に、このやうな救世主が配置されてゐる。
それを分からなければ、単に手のかかる厄介な人、嫌なタイプの人に過ぎないが、実はさういふ人が私を救つてくれると思はれます。

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