お父さんに幸せになつてほしい
イエス様が残した箴言として聖書に記録されてゐる
「汝自身を愛する如く、汝の隣人を愛せ」
といふ教へについて私なりの解釈があります。
愛する順序は、自分を愛することが最初で、その次に隣人。
隣人を愛する程度は、自分を愛する程度に制限される。
つまり、自分を50しか愛せない人は隣人をも50までしか愛せない。
難しく言はずとも、
「自分を満たせない者は、人をも満たせない」
「自分が幸せでないのに、人を幸せにすることはできない」
と言ふことです。
先日娘と話してゐて、
「お父さんに幸せになつてほしい」
と言われました。
私の妻が他界したのは娘がまだ5歳になる前で、しかもその5年間の内1年半妻は海外宣教で娘と離ればなれ。
娘には母親の記憶が本当に少ないのです。
「でも、それを寂しいと思つたことはほとんどない」
と言ひ、むしろ妻がゐなくて生活のことをいろいろ一人でやつてゐる私を見ながら、
「お父さんが可哀さう」
と思つてきたと言ふのです。
だから幼いながらに辛さうな様子を見せまいとし、お父さんの助けにならうとしてきた。
私はさういふところがかなり鈍感なので、今頃それを娘から聞いて、
「なんだ、私の娘つてめつちや親孝行じやん!」
とびつくりしたのです。
時々娘が急に流す涙の意味が私にはさつぱり分からなかつたのですが、娘の話を聞いてやつと合点がいきました。
それで、
「お父さんが幸せになることが肝心なポイントだね」
と娘に言ひながら、はたと一つのことに気がつきました。
「でも、といふことは、君の目には、お父さんはまだあんまり幸せさうに見えないといふことだね」
娘は返事にちょつと言葉を濁しましたが、それはさうなのです。
私がいまだにすつかり幸せさうでないことは、間違ひない。
本人もそれを自覚してゐます。
十分幸せさうではないお父さんが一生懸命娘の為に尽くすと、娘は却つて悲しくなる。
「隣人を愛する前に、汝自身を愛せよ」
といふことなのです。
さて、どうしたらいいものでせうか。
娘のためにも、私はもつと自分自身を愛するスキルを上げる必要があります。
それにしても私のやうな者から、どうしてこんな超孝行娘が生まれてきたのか。
神様の愛による創造の神秘としか言ひやうがありません。

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