大いなる道は難しくない
大いなる道は難しくない、選り好みをしなければよいだけだ。 愛も憎しみもなければ、すべては明瞭で隠されたものとてない。 好きと嫌いの葛藤、これが心の病だ。 道は大いなる虚空のように完全だ。 足りないものも、余計なものもない。 しかり、いいとかいけないとか選り好みをするばかりに、本当の姿が見えないだけだ。 外側の物事のもつれの中にも、内側の空無の中にも、住んではいけない。 穏やかに、何を求めるでもなく、大いなる一体性の中にとどまるがいい。 さうすれば、誤つたものの見方は自ずから消えよう。 真理を求めることはない。 ただ、意見を持つことをやめるがよい。 ああだこうだの状態にとどまってゐてはならない。 そのやうな営みを心して避けなさい。 一切が等しく見えるとき、永遠の自己に到達してゐる。 そこは比較も比喩も不可能な、因果の絆の断たれたところだ。 このやうな「如」の世界には、自己もなく、また自己でないものもない。 この実在とただちに調和するためには、疑いが起これば、ただ「二ではない」と言ふがいい。 この「不二」の中で、何一つ分離されるものもなく、また排除されるものもない。 (僧璨 信心銘 『世界経典』469-471) |
僧璨(ソウサン)は中国隋代禅仏教の第3代祖師です。
「如(ニョ)」は「真如」の如であり、「如来」の如ですね。
「あるがまま」とでも言つたらいいでせうか。
「好き嫌ひを言ふな、真理を求めるな、意見を持つな」
と言つてゐますね。
前回の記事で荘子の一節を紹介しましたが、隋代の禅仏教にはこの老荘思想が浸潤してゐるやうな感じがします。
あるいは、道を求めれば、登り口は違つても最後は同じ頂上に着くといふことでせうか。

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