おばあちゃんには3つの幸せがある
間もなく89歳の誕生日を迎える母(普段おばあちゃんと呼んでゐる)は認知の症状が進んで、3分前のことを忘れる。
そのくせ、遥か半世紀以上昔のことをよく覚えてゐる。
人の記憶といふのはおかしなものだと思ひます。
尤も、よく覚えてゐるとは言つても、覚えてゐる事柄は十指で足りるくらいに限られてゐる。
毎晩2人で夕食を食べ乍ら話を聞いてゐると、おばあちゃんの「幸せ」は3つに集約されるといふことが明らかになつてゐます。
幸せの第一は、長谷から郷へ引つ越してきたこと。
20代の半ばで嫁いできたのは長谷(ながたに)といふ山の中だつた。
玄関に出ても隣家は一軒も見えない。
見えるのは周りをぐるり囲む山だけだつた。
私が15になるとき、父母が力を合わせて家を新築して郷(ごう)に出た。
同じ村ではあつても、そこは村の中心。
周りに少なくとも5、6軒の家が見える。
家族が減り、夫も亡くなつて、昼間一人で過ごすことの多い今となつては、隣家が見えるだけで不安が減るから嬉しいと、毎日1回は言ふのです。
幸せの第二は、優しい夫に出会つたこと。
あんまり男前だつたので、ついつい山の中に嫁いでしまつたと冗談めかして言ふが、父は本当に歌舞伎役者のやうな端正な男前でした。
男前だつただけではない。
非常に優しい思ひやりのある夫で、結婚生活で一度も妻に手を上げたことがない。
「ほんとに優しいお父さんだつたのに、逝くのが早すぎたよね」
と、これもまた毎日のやうに寂しがるのです。
幸せの第三は、優しい息子と孫に恵まれたこと。
これは自慢話にもなるが、毎晩必ず私が夕食を作る。
入れ歯や補聴器の管理をし、毎朝夕薬を飲ませ、今の暑い季節はエアコンのきく部屋に布団を並べてやすむ。
「男の子でこんなにしてくれる子はゐない。ばあちゃんは幸せ」
と、これも毎日のやうに繰り返します。
本当は私が20歳前、今の教会に出会つて父母には長い間随分心配をかけてきました。
ところが幸ひにと言つていいのかどうか、認知症になつたおばあちゃんはそんな昔のことを一切言はなくなつたのです。
昔は
「こんな不孝息子がゐるか」
と随分心痛しただらうに、今ではその息子を有り難いと言ふ。
昔の不孝息子がいつの間にか孝行息子に評価が変はつたやうに見えます。
しかし話はさう単純でもないと思ふ。
ここで突然聖書に話が飛ぶが、昔ヤコブといふ男は父と兄を騙して家にゐられなくなって遥か遠方の伯父ラバンを頼つて、そこで21年間暮らした。
それが騙したことの蕩減路程かどうかは別にして、この間彼は伯父に相当仕えた。
2人の娘を妻にもらつたので、伯父であり義父にもなる。
家を出奔するまでは実の父母に仕へたが、この21年間は義父に仕へた。
21年目にその家を出て故郷に帰らうとしたとき、2人の妻は父ではなく夫の側についた。
それを見ると、義父に対するヤコブの仕へ方は相当のもので、それを見てゐた2人の妻たちは、
「父は夫を10回も騙したのに、夫は父に本当によく仕へてゐる。父はひどい人だが、夫は素晴らしい」
と思つてゐたのに違ひないと推察されます。
息子といふものは自分の父母を愛して尽くすことも孝の道ではあるが、それ以上に重要なのは妻の父母(義父母)を実の父母以上に愛することです。
さういふ男に妻は心から屈伏する。
ヤコブが故郷に帰つて怒る兄を宥め和解に成功したのも、かういふ内的な勝利があつたからだらうと思はれます。
それに照らして考へると、私は妻の父母をどれだけ大事にしてきただらうか。
霊界の妻はまだとても屈伏してゐないと思ふのです。

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