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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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発展を見せようとしてください

20190713 

信仰を見せようとせずに、発展を見せようとしてください。さうすれば神様は信仰をくださいます。
私が発展のために最善を尽くせば、信仰を私に与へてくださるのではなく、ほかの人に与へてくださいます。
さうすれば私にその結果が返つてくるのです。それも喜んだら、与へてくれなくなります。
(『心情文化世界とマスメディア』文孝進)


孝進様のこの本からはこれまでに何度も引用紹介してきました。
全編、言葉の持つてゐる緊迫感が並みではありません。

ご自身の生き方が言葉になつてゐると考へれば、その生き方自体に半端ない緊迫感が漲つてゐるのです。

原理講論では、罪のなかつたアダムとエバにも信仰(信仰基台)が求められてゐたと言ひますが、エデンの園での彼らの日常生活はどんなものだつたのでせうか。

園の中のさまざまな果木から果実を取つて食べながら、アダムは山や川に出かけては動物を観察した。
エバはもう少しぢつとしながら、女性らしい飾りを楽しんでゐた。

そんな牧歌的な話も聞きます。
彼らも神様に見せるべきは信仰よりも発展だつたと考へればどうでせう。

「取つて食べてはいけない」
といふ戒めのみ言葉を信じて守るといふやうな、何となく受け身的で従順らしい信仰の姿より、アダムは限りなく男らしく、エバはどこまでも女性らしく発展成長していく姿そのものを神様に見せる。

そのやうに最善を尽くして生きれば、神様は彼らに信仰を与へてくださる。
アダムが発展すれば、神様はエバに信仰を与へられ、エバが発展すればアダムに信仰を与へられる。

アダムが発展すれば、エバはその姿を通して神様の愛を感じ、アダムを慕ふやうにもなる。
エバが発展すれば、アダムはやはり彼女を通して神様の愛を感じ、エバを愛するようになる。

信仰は発展の原因ではなく、発展の結果です。

私たちが親として子どもに願うことも信仰でせうか、それとも発展でせうか。
振り返つてみると、第一義的に信仰をかなり形式的に要求してきたやうな気がします。

一緒に祈祷しよう。
一緒に礼拝に行かう。
原理の修錬会に出なさい。
酒タバコをやつてはいけない。
異性関係に関心を持つてはいけない。…

それなら、孝進様の言はれる「発展」とは何でせうか。

発展のためには死ぬ覚悟をしなければなりません。
「昨日よりもつとしよう。もつとうまくやらう。もつと速くしよう」
と思つてこそ発展があるのです。

まづ自己の発展のためには、基本的に犠牲が伴ひます。
私は究極的なものを望み、あまりにも多くのことを一度に願ふので、犠牲どころではなく、自分を虐待すると言つても過言ではありません。
(同上)


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