「感謝」の一言に尽きる
『信仰の伝統』(金元弼著)を読むと、金先生の人柄が髣髴とします。
私がかつてある教会の牧会者をしていたときに来教してくださり、短い時間でも一対一で話したことを、今でも忘れられません。
穏やかな口調で、難しい言葉を使つた話はされない。
分かりやすいやうにも思へながら、よく味はつてみると、とても深い。
金先生のお話はいつもそんな感じです。
この本は金先生の講話集ですが、本当はかういふ本を出してほしくないと言つておられたやうにも記憶してゐます。
どういふお気持ちからかは分かりませんが、謙遜な方です。
お父様に最も近い弟子の一人であられながら、自分を徒に主張する方ではありません。
本書の前書きの中に、こんなエピソードが載つてゐます。
あるとき、後輩が先生に問うたことがある。
「先生の日々の信仰の心構えは何ですか」
すると答へは一言、
「それは感謝といふことに尽きます」
お父様の語られるみ言葉は膨大であり、それを長年聞いてくれば語り伝えるべき内容はいくらでもありさうに思へます。
しかし金先生は、なるべく多くを語らない。
み言葉は無闇に与へてはいけない。
み言葉と自分とが一致化する前に与へれば与へるほど、自分の中が枯渇する。
み言葉は頭で分かつただけでもまだ不十分。
み言葉通りに実践してみて初めて自分のものになり始める。
その実践も一度ではだめで、何度も繰り返してみる必要がある。
金先生はそんな考へですから、勢ひ語る言葉は少なくなるのです。
また語つた言葉のすべてが自分と一致化したものではないかも知れないので、講話集などは出してほしくないと思はれる。
私なども原理講義をしたり礼拝の説教をしたりした後、何だかとても虚しい感じがして、力を失うことがよくあります。
思ひ通りに話せなかつたといふこともありますが、話し過ぎてしまつた。
話し過ぎて自分の中身が空つぽになつたやうな感じです。
み言葉は膨大にあつても、生活信条は
「感謝」
の一言に尽きる。
さういふのが本当だなと思ふ。
語るべき立場に立たされる人は、むしろ可哀そうです。

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