完璧な生き物になりたい
私なら、まず完璧な生き物になりたいと思います。獣はお腹が空いているときは自分の餌に見えると食べますが、理想的な人間はむやみに飛びかかりません。 まず最高の生き物になり、人間にならなければなりません。そうなってこそ万物主管が可能です。 動物以上に自らの頭脳と体をまず主管することができなければなりません。自己の本能と肉体を完全に主管することができなければなりません。完全に主管できなければ、自然世界では死ぬことになります。より完全な他の動物に摂取されるのです。 (『心情文化世界とマルチメディア』文孝進著) |
孝進様の言葉には驚くやうな含蓄があります。
「完璧な生き物になりたい」
とは一体どういふことでせうか。
動物たちは本能に従つて生きてゐます。
ところで本能といふのは完璧です。
本能には迷ひがない。
本能には我欲がない。
だから常に最上の判断ができるのです。
ヌーがライオンに追いかけられる時に余計な考へに耽らうものなら、たちまち追いつかれて餌食になる。
ヌーの本能の完璧さがライオンのそれに優つてゐれば逃げおおせる可能性がありますが、反対なら確実にライオンの牙にかかつてもんどり打つて倒れることになる。
人間と言へども、肉体の世界だけで生きるなら、生き延びるためには他のどの生き物よりも完璧な本能を磨くしかない。
その本能とは、迷いがなく我欲のない心です。
そのレベルがまず、人間が万物の上に立つて彼らを主管できる最低のラインです。
孝進様はまづそのレベルを目指して、
「完璧な生き物になりたい」
と言はれるのです。
本能といふのはその都度のコンディションによつて機能を変へない。
その意味で機械のやうです。
それで孝進様は
「私は仕事をする機械にならうと思ふのです」
とも言はれるのです。
人間には感情もあれば理性もあるので、味気ない機械のやうに生きたいとは願はないでせう。
しかし過程的にはその段階を通過しないと万物を主管し得る万物の霊長にはなり得ないので、過程的な目標として「機械にならう」といふのです。
機械となつた人間は、自分の本能と頭脳と肉体を自己主管できる。
これがお父様の標語でもあつた
「天宙主管の前に自己主管」
といふことかも知れません。
これを過程的な目標とし、そこからさらにより高い人間としての個性完成を目指すといふ道のりになるでせう。

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