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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

私が加害者です

2019/05/27
読書三昧 3
20190527

おかげさまの法則』(入江富美子)の縁で、入江さんが薫陶を受けたといふ中山靖雄さんの『すべては今のためにあったこと』を読んで、びつくりしました。

中山さんの肩書は
「修養団・元伊勢道場長」
となつてゐますが、話しておられるその内容は私がこのブログで書いてきたこととほとんど同調する。

私なりにはこの15年ほど段階的に積み上げてきたアイデアと体験が
「なんだ、もうすでに同じことを悟つて修行、体験してきた方がおられたんだ」
といふ感じです。

とは言へ、私のそれよりはよほど深いので、とても参考になります。

びつくりしたといふのは内容が同調してゐることではなく、ある一つの証です。
それは中山さんのところに通つて勉強してゐた高円寺さんといふご夫婦の体験談。

5歳の娘さんが交通事故に遭つて亡くなつた。
事故を起こした人が警察にゐると聞いて、夫婦で会ひに行かれた。
その時のご夫婦の行動に私はびつくりしたのです。

ご夫婦はその人の前に行くや、土下座をしてお詫びをされたといふのです。

「かういふ縁に逢はせてしまつて、ごめんなさい。かういふ縁に逢ふ子どもを育てたのは私の因縁です。どうぞあなたは安心して、このことを忘れて、世のため人のためになつてください。本当にごめんなさい」

これはまつたく常軌を逸した言動です。

子どもが急に飛び出してブレーキが間に合はなかつたといふやうな状況があつたのかどうかは分からない。

しかしさうであつたにせよ、子どもが亡くなつてしまつた以上、普通の感覚ではこのご夫婦が被害者であつて、
「ごめんなさい」
と謝るべきは事故を起こした人でこそあれ、決してご夫婦のはうではないでせう。

ご夫婦のはうが謝るといふなら、
「自分たちのはうこそ加害者です」
といふことになつてしまふ。

ご夫婦の思考方式は一体どうなつてゐるのでせうか。

ご夫婦の子どもには5歳で事故に遭ふ因縁をもつてゐた。
自己に逢ふには事故を起こす人がゐなければならないが、あなたがその損な役回りに当たつてしまつた。
娘の因縁に巻き込まれなければあなたの人生はもつとうまく運んだであらうに、巻き込んでしまつてごめんなさい。
この事故についてはあなたに責任があるのではないので、どうかこのことは忘れ、あなた本来の人のためになる人生を生きて行つてください。


大体こんなふうでせうか。
そして更に言えば、

5歳で事故に遭ふやうな娘をもつたのは、私たち夫婦の因縁です。
一番の責任は私たちにあります。


因縁といふのはとても日本的な言ひ方ですが、ともかく、この事故についての最も奥深い原因は運転者でもなく子どもでもなく、その子どもをもつた私たち親にある、と考へておられるやうです。

親に一体どんな原因があるのか、それは親自身にも分かつてはゐない。

分からないのに
「私たちに原因がある」
と考へてゐる、といふか信じてゐる。

こんなふうに幼い我が子が事故で突然死んでさえ被害者になり得ないとするなら、この世にはほとんど
「私は被害者だ」
と言へるやうな出来事はないのではないかとさえ思へます。

そして自分自身のことを振り返つてみても、これまで
「私が被害者だ」
と思ひ込んできた事柄が、実は全く反対に、
「私が加害者だつた」
といふことになりはしないかと思はれてきて、非常に胸騒ぎがします。

例へば、誰かからひどい言葉を浴びせられて私が傷ついた体験があるとする。
これは明らかに言はれた私が被害者だと思つてゐるのですが、もしかしてこれさえ私が加害者かも知れない。

「あなたはそんなひどい言葉を言ふ人ではないのに、それを言はせてしまつたのは私の因縁です。こんな因縁に巻き込んでしまつてごめんなさい」

こんなふうにむしろ私のはうがお詫びしないといけないのかも知れません。

ここまで行けば私は決して「歴史の被害者」ではなく、「主体としての私」になり得るのではないかと思へます。



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Comments 3

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はちみつ

自分が原因

入江さんの本や「ホ オポノポノ」でも、「この世の現象は自分が作り出したもの」と仰っておられますね。

恐ろしい事件(今朝も事件がありましたが)も、私の責任!? と信じられませんでした。
でも私の中の他人を嫌う思いなどが膨らんだら、あのような恐ろしい事件を起こす可能性を秘めているんですよね。

入江さんの本は、今までの自己啓発本の中で最も感銘を受けました。
ブログでご紹介されている、中山氏の本も読んでみたいと思います。

2019/05/28 (Tue) 09:42

通りすがりの者

No Subject

通りすがりの者ですが失礼します。こんな考え方が世に蔓延らない事を切に願います。池袋の凄惨な事故を起こした飯塚が喜びそうなお話です。もしこんな考えが世に蔓延れば死んだ被害者や遺族はどう思うでしょうか?司法えも味方をしてくれないのにまして加害者に非はなく被害者に全ての責任があるなどと言う事をいくら好き勝手書けるブログ上とは言え書くのは私はどうかと思います。せめてこれは私の個人的な考えですと付け加えるべきだと思いますね。いきなり批判のようになって申し訳ないですがブログは自論を好き勝手書いても良いと思いますがもう少し事故の被害者の方達も見るかもしれないと言う気持ちを持って頂きたいものです。私の理解力が足りず本当に伝えたい事が私自身が理解できていなければすみません。私には加害者は何も悪くないと言ってるように感じたのです。

2019/05/29 (Wed) 01:54
kitasendo

教育部長

通りすがりの者さんへ

貴重なご指摘、有り難うございます。読む方によつていろいろな受け止め方があることは確かなので、今後は私なりにできるだけ配慮しようと思ひます。
少しだけ補足させていただくと、ここでのご夫婦は相手に非があるかどうかといふこととはまつたく別に、自分自身の内面における受け止め方に従つておられるのだらうと思ひます。この出来事は自分たちにとつてどういふ意味があるのだらうといふことに集中しておられます。このやうな方はごく稀ですが、時々出て来られますね。今年4月1日の記事「私は容疑者を許す」でも紹介しました。
考へてみると、これはメシヤの伝統思想ではないかとも思はれます。イエス様は十字架に臨んで「彼らは何も知らないので許してください」と祈られました。文先生もアメリカを許すために自ら進んでダンベリー刑務所に入つて行かれました。このやうな態度によつて歴史の流れが大きく変はつていつたのではないでせうか。しかし誰でもできることではありませんね。

2019/05/29 (Wed) 20:11