ミッションは向こう持ち
数か月ぶりに本屋に入つて
『おかげさまの法則
といふ本を買つたのはタイトルに惹かれたからではなく、最初の20項ほどを立ち読みして著者の体験談がツボにはまつたからです。
体験を表現する言葉遣ひにこそ色合ひの違ひがあるものの、その内実は私が3か月前に参加して以来実践を続けてゐる自己牧会とほとんど一致してゐるのに驚いた。
自己牧会にも多くの証がありますが、入江さんの体験談はその証の一つと言つてもほとんど違和感がない。
しかも、実践の結果目覚ましい成果も出てゐる一級の素晴らしい証なのです。
彼女がその内面的遍歴の果てに自分の中に発見した「みたま」といふのは、霊人体といつてもいいし、その中心である生心といつてもいいし、良心といつてもよささうです。
彼女の体験と発見を注意深く読み進めると、私の自己牧会についての理解を助け、より深くしてくれます。
あまりに面白い本なので、私の実践に活用し、折に触れて紹介もしてみようと思ひます。
さて面白いことの第一は、これです。
入江さんは若い頃から「ビジョン」を追ひ求めて努力した。
最初はキャリアを積んで成功すれば幸せになれると思つてファッションデザイナーになつた。
ところが、あるレベルの成功を果たしたのに、幸福感がない。
お金があればこの満たされない思ひが救われるのではないかと考へ、25歳で起業した。
ここでもまたかなりの成功をして富を得た。
ところが、お金を得ても心はなお虚しい。
自分が好きなことをすれば心が満たされるのではないかと考へて、成功した会社を5年でたたんで、アロマテラピーや気功、整体などを教へ始めると、ここでもまた活動は発展し、やり甲斐を感じた。
ところが好きなことで生きてもなお、なぜか心は満たされない。
結局かういふ結論に至る。
「人は自分が立てた目標を達成しても、本当には幸せになれないのではないか」
入江さんはそれまで自分が立てた目標(ビジョン)に向かつて努力してきた。
ところがそれは、今の自分には何か欠けたものがあるので、それを満たすために「満たされた自分」といふ目標を達成しようといふ努力なのです。
それで入江さんはビジョンを捨て、
「これからはミッション(使命)に生きる」
と自分自身に宣言した。
ビジョンには自分についての欠乏感が伴つてゐるのに対して、ミッションにはそれがないのです。
この頃に人生の師ともいふべき人に出会ひ、
「ビジョンは『自分持ち』だが、ミッションは『向こう持ち』だよ」
と教えてもらふ。
これはどういふ意味かといふと、ビジョンは自分で描くものだから、それを達成する力は「自分持ち」。
それに対してミッションは向こう(どこかな? 神かな?)から来るものだから、それを達成する力も「向こう持ち」といふわけです。
この時から入江さんは、
「天が期待してゐることを私に実現させてください」
と必死に祈り始める。
ところが祈れば祈るほど、
「そんなことが私にできるはずがない! できるのは賢い人だけ、有能な人だけ」
といふ全否定の思ひが狂つたやうに湧き続けて、もう惨めで立ち上がれないほどになる。
私が思ふに、この全否定の思ひは肉心の声に違ひない。
ビジョンを描くぶんには肉心は協力的だが、ミッションを目指さうとし始めると、途端に大反対にまはる。
ミッションに生きるなどといふそんな危なつかしい道に行かせるわけには絶対にいかない。
それが肉心の立場です。
自分のミッションがどんなものなのか、肉心には分からない。
良心が教へてくれるものです。
入江さんは肉心の思ひと共に生きてゐた立場から(大半の人の人生がこの立場でせう)、良心の声を聞く道へと方向を大きく変へた。
ところが良心の声を聞くといふのは容易ならざることで、肉心が大反対する茨の道をくぐりぬけて行く必要がある。
くぐり抜けたその果てに、初めて良心の声が小さく聞こえ始めるのです。
これはまつたく自己牧会の人が行くべき道そのものです。
入江さんはいかにして茨の道をくぐり抜け、良心に出会つたのか。
これはとても参考になります。
日を改めてもう少しおつき合いいただければ幸いです。

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